青木昆陽

2013年10月20日

しらす雲便りNo.40:芋神様

台風の進路と勢力が気になりますが、昨日は富士山で初冠雪が……年賀状やクリスマスなんてまだまだ早い!と思っていてもこの話題には♪冬がはじまるよ~な気分になりますね。芭蕉と同時代の俳人・上島鬼貫の『にょつぽりと秋の空なる富士の山』の句が味わい深い~なんて面白い!とワタクシにはツボでしたが(笑)冬の空だと「にょつぽり」ではなくすっきり・しゃっきりになるのかしらん?←言葉のセンスなし(-.-)



さてさて…二男は職場周辺の農家の方から野菜をもらってくることが多いのですが(何の仕事しているのだろう?)この前はサツマイモをもらってきました。サツマイモと言えば、甘藷先生の青木昆陽ですね!


江戸時代中期、8代将軍徳川吉宗の信任厚い南町奉行大岡忠相に飢饉対策として甘藷の栽培を進言。武蔵国小石川、下総国幕張村、上総国不堂村の3ヶ所の甘藷の試作地を設けます。この試みは大成功\(^o^)/全国に甘藷の栽培が広がり、飢饉対策に大いに貢献しました。昆陽神社は「芋神様」として今も土地の人々から尊敬を集めているそうです~芋神様とはなんて庶民的!


神社は幕張にあるのですが、昔からの幕張地域と新たに開発されたメッセとかのある地域の2つにわかれるみたいですね。だから幕張方言なんてあるのか~と思ったのですが、「ぼける」事を「ぽろける」というとか…記憶がぽろぽろこぼれていくような感じ?以前、台風でキンモクセイの花が散ってしまい、根元にオレンジの水溜まりみたいになっていましたが、ぽろぽろした記憶に香りがあるとしたらキンモクセイなのだろうか…とちょっとヘボ詩人の心境になりました( ̄▽ ̄;)そして「あさりの味噌汁」のことを「ほうかし」というそうです。これは幕張限定の方言ではなく、千葉、市原、君津の漁師言葉。でも語源はワカリマセン!美味しかったら呼び名はなんでもいいですね(*^o^*)



rohengram799 at 08:44|この記事のURLComments(7)

2010年10月13日

第294号:さつまいも、バンザイ!!

秋はサツマイモのお菓子を多く見かけます。今日はそんな秋の代表的な食材『サツマイモの日』です。
制定したのは、埼玉県川越市の市民グループ・川越いも友の会。


10月はさつまいもの旬ですし、江戸から川越までの距離が約13里なので、さつまいもが「栗(九里)より(四里)うまい十三里」と言われていたことから、13日になったみたいですね。


サツマイモのお初(?)は、1604年、琉球王国(現在の沖縄県)。 野國総管(明への進貢船の事務職長)が、明(今日の中国福建省付近らしい)からの帰りに、苗を鉢植えにして北谷間切野国村(現在の沖縄県中頭郡嘉手納町)に持ち帰ります。儀間村の地頭・儀間真常が、総管から苗を分けてもらい栽培に成功、痩せ地でも育つことから広まったようです。野國総管は『芋大王(うむふうすう)』と称えられているそうですが(笑)サツマイモを持ち帰ったこと以外は、謎の人物みたいです。


他にも1705年(1709年とするものもあり)、九州上陸(笑)の話などもあるようで、前田利右衛門という人が、船乗りとして琉球を訪れた時に、甘藷を持ち帰ります。近隣に広めて「カライモ」と呼び、やがて薩摩藩全域で栽培されるようになっとか。 利右衛門は民間人として初めてサツマイモの栽培を広めたとされ、「甘藷翁」として地元であがめられ、『サツマイモの神様』として祭られているそうですよ!!


私のサツマイモの知識もどきといったら、八代将軍・徳川吉宗に起用されたのが、青木昆陽くらいなものです。


1734年、青木昆陽は薩摩藩から甘藷の苗を取り寄せ、「薩摩芋」を江戸小石川植物園、下総の幕張村(現千葉市花見川区)、上総の九十九里浜の不動堂村(現九十九里町)において試験栽培し、1735年栽培を確認。 これが、サツマイモが関東一円に広がるきっかけになったみたいです。


1898年には、埼玉県木崎村の主婦山田いちサンが、従来のサツマイモよりはるかに甘い突然変異種・紅赤を偶然発見! そんなこともあるのですね~私も何か発見したい!!


「いも地蔵」とか「さつまいもの碑」など、けっこうサツマイモの名を冠したものは多いようです~(^-^)

rohengram799 at 01:28|この記事のURLComments(4)
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