馬場あき子

2023年03月07日

柳絮雲便りNo.3:花坂おやぢの火曜日

こんにちは🐥

昨晩は【東映アニメーションが「劇場版 銀河鉄道999」無料配信】を知り、懐かしくYouTubeで見てしまいました~ガラスのクレアちゃんが何回見ても泣ける(⁠´⁠;⁠ω⁠;⁠`⁠)

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2303/07/news082.html

そしてお彼岸がある3月だからか、テレビ版アニメのナレーションにあったこの言葉も思い出したりします。(第42話 フィメールの思い出)

『思い出は、心の中にあるもう一つの宇宙だ。その宇宙は、その人が死んだとき、その人と一緒にどこかへ行ってしまう。誰も手を触れることはおろか、見ることさえできない。それは、その人だけの宇宙なのだから…』




◆伊藤比呂美さん
インタビュー記事を読んで森鴎外が好きだと知りました。
https://www.kateigaho.com/migaku/41611/3/

今、鴎外の『鼠坂』を青空文庫で読みかけ放置中😅
https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/45618_25532.html

【鼠坂】
https://sakamichi.tokyo/?p=244


◆椿
病む父が花とよびし死のことを椿咲く日は思ひて黙す

馬場あき子全歌集より。読売新聞で知りましたが、父上の言った花は何だったのか? 季語だと花は桜なんだけれど、ポトリと落ちる椿だったのか。 椿ってお寺にあるイメージが強いです。全く霊感のない私が一度だけ小学生時代使っていた通学路の坂道、椿の木の下にいるお坊さんの姿を一瞬だけ見たことがあります。アレは何だったのだろう?

椿は鷹女の句も好きです。

老いながら椿となつて踊りけり    三橋鷹女


◆天皇誕生日のニュース画像にもあった山茱萸 (さんしゅゆ)。別名「春黄金花(はるこがねばな)」とも呼ばれるそうで、何だかんだウキウキする(笑)
https://www.hana300.com/sansyu.html

大阪に「茱萸木(くみのき)」という地名があって、サンシュユがたくさん咲いていたのかな?と思いましたが、由来を調べたらり茱萸が多数あったことから名付けられた説と、1263年(弘長3年)の太政官符に「佐志久美岡」とあり、そこから転じて茱萸木となった説など諸説あるそう。
太政官符とは、律令時代に中央省庁から地方に発せられた公文書のこと。茱萸が多数生えていたことから茱萸木となった説が記載されているのは1736年(享保20年)「河内志」。年代としては「佐志久美岡」のほうが信憑性が高いようです。

しかし律令時代! 市町村合併とかで消えてしまったり縁起を担いで文字を変えたりとかありますが、ずっと残っているのは歴史の勉強のきっかけにもなる気がします。花や植物の地名ってなんかいいなぁと思ってしまう😄

あ! 「くみのき」って「久美の木」とか言って、久美ちゃんとの待ち合わせ場所の符丁として使ったりして……と考えてしまう〜「友待つ雪」という、消え残る雪の姿が次の雪が降るまで友人を待つかのよう…という表現を読んだ時も「友松 幸」ちゃんとかカワイイ💕「トモくんを待つユキちゃんとかトモちゃんを待つユキオくんとか」……妄想していたわ💦 春だもの、仕方ないよねぇ🥸🥸🥸




ではでは、皆さま、はなやかな気持ちでお過ごし下さいませ💐



rohengram799 at 13:40コメント(6) 

2020年05月14日

啓明雲便りNo.9:いくつもの 「さよなら」「さようなら」

漫画家の野間美由紀さんの訃報、ショックだ……59歳ですよ、まだまだたくさんの作品を描けただろうに。自分の学生時代を豊かにしてくれてありがとうございました。合掌。

https://www.hakusensha.co.jp/information/57613/


*****


こちらの「さようなら」を口にした“ぼく“は、どこに行くのでしょうか、ひとりで……。



さようなら   谷川俊太郎
 
 
ぼくもういかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない
どこへいくのかわからないけど
さくらなみきのしたをとおって
おおどおりをしんごうでわたって
いつもながめてるやまをめじるしに
ひとりでいかなきゃなんない
どうしてなのかしらないけど
おかあさんごめんなさい
おとうさんにやさしくしてあげて
ぼくすききらいいわずになんでもたべる
ほんもいまよりたくさんよむとおもう
よるになったらほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
だからとおくにいてもさびしくないよ
ぼくもういかなきゃなんない


*****


おさらひのつもりで妻にさよならと言へばにはかに悲しみ溢る

2017年11月、93歳で亡くなった岩田正の最終歌集『柿生坂』から。誰もが大切な人にさよならを言えるとは限らないのだと知っているけれど……。奥さまは歌人の馬場あき子さんです。

https://mainichigahakken.net/hobby/article/post-377.php


*****


「幸福が遠すぎたら」


さよならだけが 人生ならば
また来る春は何だろう 
はるかなはるかな地の果てに
咲いている野の百合何だろう

さよならだけが 人生ならば
めぐりあう日は何だろう 
やさしいやさしい夕焼と
ふたりの愛はなんだろう

さよならだけが 人生ならば
建てたわが家は何だろう 
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろう

さよならだけが 人生ならば 
人生なんかいりません




寺山修司の詩を思い出した木曜日でした。



rohengram799 at 17:50コメント(2) 

2020年03月19日

花春雲便りNo.22:阿修羅 と うなじ

読売新聞に『時代の証言者』というシリーズがあります。少し前は「情念をうたう 岡野弘彦」さんでした。[岡野さんは歌人。大正13年(1924年)7月7日生まれ。家は代々、神主の家柄 ]

3/7(土)の記事に、「牧水の会」(*)に参加した時のエピソードがありました。


……あるとき大岡さんに、「岡野さん、あんな歌を詠んで、女子学生の多い大学の教壇によく立てるね」と話を切り出されました。僕は短歌で若者たちの愛情の歌というのをよく詠んだほうですが、教壇に立って顔を上げられないような歌はあまり詠んだ記憶がない。ちょっと怪訝な顔をしていたら、馬場(あき子)さんもそばで不思議そうにしていた。/ その歌というのが、〈うなじ清き少女ときたり仰ぐなり阿修羅の若きまなざし〉。「やっぱりちょっとエロチックだよ」と大岡さんは言う。清純な少女と、激しい怒りの表情をした戦いの神です。それにしても詩人というのは多感なものだなあと思いました。……



うなじ清き少女ときたり仰ぐなり阿修羅の若きまなざし


エロチックさを感じるとしたら「うなじ」でしょうか? 阿修羅像を並んで見ているのではなく、彼女の少し後ろの位置から見ていたのかも? 「阿修羅の若きまなざし」は思春期の少年の恋への憧れや未知なる衝動を感じさせるものであり、それを戒めているように思えたのでしょうか? 表面だけなぞれば、阿修羅を見ている若い学生さんふたりのイメージが私にはありましたが、少女と一緒にいるのは年上の男性だった可能性もあるワケで……繊細な詩人の大岡さんとおやぢな私の妄想では何億光年もの差がある気がしますが、仰ぎ見るのが阿修羅像なのがやはりポイントですね。ミロのヴィーナスとかではダメだと思います(笑)




大岡信(おおおか まこと、1931年2月16日 - 2017年4月5日)さんは 都立国際高校の校歌(詩)を書かれていました。
https://mobile.twitter.com/hidekishima/status/849594274954006528/photo/1


馬場あき子さんは昭和3年(1928年)1月28日生まれ。木原敏江さんがよく鬼の漫画を描いていて、その時にお名前を知りました。

https://tankanokoto.com/2019/10/babaakiko.html




(*)若山牧水賞の選考委員を大岡信さん、馬場あき子さんと長くつとめ、「牧水の会」と称して宮崎によく行っていたそうです。
http://www.bokusui.com/



rohengram799 at 00:40コメント(4) 
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