空のお城通信~オスカー戯言日記~

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タグ:高村光太郎

むし暑いですね。髪を切ろうかどうしようか、迷っています。あんまり短いのもイヤだし、中途半端な長さだとまとめられないし、パーマは全くかからないのでお金の無駄だし……( ̄~ ̄;)



髪の毛と言えば……を明治4年8月9日に「脱刀の許可」と共に「散髪の許可」も出されました。しかし、長年親しんできたチョンマゲをあっさりと簡単に切ることは出来なかった人が多いらしく、ある県ではチョンマゲのままの人に税を課せるなどして、散髪を励行したそうです(;゜∇゜)


当初は男性よりも女性のほうが好んで散髪たようで当時の新聞には「女子の断髪は見るに忍びず」(明治5年3月新聞雑誌)「婦女子の髪は従来通り」(明治5年4月新聞雑誌)などの記事がありました。そして政府から5年の4月「女子断髪禁止令」が出るほど……なんだ、そりゃ(´・ω・`)?って感じですね。あまりにも身勝手ですわ。


明治天皇は近代化を進めるにあたり率先して御自ら実行しなければいけないと、明治6年3月20日ご断髪なさったそうです。



明治にはいろんな禁止令が出ていたようですが、私が気になったのは『裸体禁止令』です(///∇///)←こんなウキウキ感はないですけど。


日本人は、和服を軽くひっかけるようにして着ていました。遠山の金さんみたいなイメージでしょうか? 当然、着物がはだけてしまいます。このような姿について、ペリーに随行した宣教師のサミュエル・ウェルズ・ウィリアムは「婦人達は胸を隠そうとはしないし、歩くたびに太腿まで覗かせる。男は男で、前をほんの半端なぼろで隠しただけで出歩き・・・」というように半ば蔑むような発言。「前をほんの半端なぼろで隠しただけ」というのはフンドシのことかと気になりますが、今回は置いといて(笑)


まぁ日本人にとっては当たり前のことでも、初めてこれを目にした西洋の方々はとても驚いたに違いありません(^。^;) 日本を「野蛮」と思われるのを嫌った明治政府は「裸体」の風俗を取り締まるようになります。明治元年、横浜を皮切りに、続いて明治4年に東京でも裸体禁止令が出され、その後全国に普及していったそうです。その流れの中で、混浴禁止令とかも出たりして……なんか混乱した時代だ(-_-;)


高村光太郎は『回想録』に「祖父は丁髷(ちょんまげ)をつけて、夏など褌一つで歩いていたのを覚えている。その頃に裸体禁止令が出て、お巡りさんが「御隠居さん、もう裸では歩けなくなったのだよ」とやかましい。そしたら着物を着てやろうというので蚊帳(かや)で着物をこしらえ素透(すどお)しでよく見えるのに平気で交交番の前を歩いていた」と書いています。また
「祖父は体躯(たいく)は小さかったが、声が莫迦(ばか)に大きく、怒鳴ると皆が慴伏(しょうふく)した。中島兼吉と言い、後に兼松と改めたが、「小兼(ちいかね)さん」と呼ばれていて、小兼さんと言えば浅草では偉いものだったらしい。
そうで……青空文庫で祖母や父のことなども読めます。興味のある方は検索してみて下さい。



上海にディズニーランドが出来て、中国人のマナーの悪さとかニュースになっていますが「昔の日本もそうだった」って言う文化人(?)の方々がいますが、江戸から明治になった頃と同じくらいの混乱ぶりなのかしら、それとも戦後?とか考えながら○○禁止令ラッシュにの話を読みました。



明日は夏至ですね。皆さまは何を食べるのかしら? どうぞお身体に気をつけて下さいませ。




今夜は満月、皆既月食も見られそうですね。


この前読んだ『0.5ミリ』の同時収録作品が『クジラの葬式』というタイトルで、こちらも他人との関わり、看取りについて考えさせられる作品でした。最後はこんな文章です。



私の知らない時空を生き、時代を駆け抜けてきた人。
あなたという生きる歴史の、最後の事件になりたい。
静かにその火が消えるのを、そっと寄り添い、
その灯火の最期の目撃者になりたい。
あなたは息を引き取って、結局全て持って行ってしまうなら、
最後に吐いた息だけは、どうか私に引き取らせて下さい。



駅に『R25』という無料雑誌が置いてあって、巻末にエッセイが載っていて、誰の時かは忘れてしまいましたが、「お前は今何してるの?」と聞かれて「息してる」と言った友だちの話がありました。笑い話になりそうですが「息してる」ってスゴいことなんじゃ…みたいな事が書かれていた気がします。


「息を引き取りました」って何回も当たり前のようにドラマや小説、現実の中で見聞きしてきましたが、婉曲表現としてしかとらえていなかったことに気づいて衝撃をうけたものです。


「息」について思い出すものはたくさんあります。河野裕子さんの『手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が』高村光太郎『レモン哀歌』の一節「それからひと時 昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして あなたの機関はそれなり止まつた」そして何年か前の大晦日に記事にした斎藤ひとりさんのこの詩。



『生きとおし』


人は生きとおしなんだよ。魂は死なないんだ。
死ぬ時に、スーッって息を吸って、その息をずっともってて次に生まれる時に、おぎゃーって言って、最初に吐いて、命をつなげて生きていくんだって。
大切に、大切に、つないできてくれた命に、今世、出逢えてしあわせです。
あなたに出逢えてしあわせです。



両親がいなくなり実家にも帰り難くなり(これは私の気持ちの問題なんですが)自分の家族のこととかを考えながらヒンヤリした空気の中、とぼとぼ帰る日が続いてなんだかふしゅ~んと凹みがち(´;ω;`)……寝付きは相変わらずよいのですが、夢ばっかりみて熟睡感がなく、泣きたくなるワタクシなのです←全くカワイクないですが。智恵子の死から11年後に光太郎が書いたこの詩のようにおだやかに語りかけることができたらなぁ、と思いつつ、また、ため息をついてしまうワタクシなのでした。




『案内』


三畳あれば寝られますね。
これが小屋。
これが井戸。
山の水は山の空気のように美味。
あの畑が三畝(うね)、
今はキャベツの全盛です。
ここの疎林(そりん)がヤツカの並木で、
小屋のまわりは栗と松。
坂を登るとここが見晴らし、
展望二十里南にひらけて
左が北上山系、
右が奥羽国境山脈、
まん中の平野を北上川が縦に流れて、
あの霞んでいる突き当りの辺が
金華山(きんかざん)沖ということでせう。
智恵さん気に入りましたか、好きですか。
後ろの山つづきが毒が森。
そこにはカモシカも来るし熊も出ます。
智恵さん こういうところ好きでせう。



*ヤツカはハンノキのことらしいです。ケルト神話に、ハンノキ(種は不明)はよく登場し、4月の守護樹、勇気・慈愛・寛容を表すそうです。またハンノキは「妖精の国へ続く道を守る木」ともされているとか……アイルランドに行ってみたいですわ。




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