2017年01月30日

夢雲便りNo.22:鰥・・・( ・◇・)?

俳優の向井理さんが映画の企画に初挑戦したという記事を読みました。6月末公開の「いつまた、君と~何日君再来(ホーリージュンザイライ)~」(深川栄洋監督)で、原作は3年前に亡くなった祖母、芦村朋子さん(享年97)の手記だとか。祖父の吾郎さんは享年47歳。向井さんが7年前から映画化を熱望していたそうです。



河治和香さんの『未亡人読本 いつか来る日のために』という本があるのですが(タイトルはヘビーですが、表紙は可愛い)、和香さんのダンナ様がガンに倒れ、看取り・・・悲しみに浸る暇もなく、40代で未亡人になってしまいます。そして数々の雑務に追われることに。死去から葬儀までの段取り。銀行や役所での手続き、子どもがいないのでお墓選びもあれこれ考え、厄介な相続問題に、つらい遺品整理。忙しい日々が過ぎると、今度は「孤独」という試練が・・・。私も両親を亡くした後にいろいろあったので、そのことをあらためて考えてみたくて買って読んでみました。


和香さんの本は1冊読んでいましたが、全く記憶にないのですが、書き物をしている方なので、読みやすくイラストもなごませてもらいました。少し変更もあるのでしょうが、提出書類などの一覧表もあって何も知らない人にも役立つのではないかと。また心情もうんうん、そうだよね・・・と共感出来ることもあって、時には自分もこうしたかったな、という後悔などもありましたが、当時の自分の気持ちを整理出来てよかったのかも。


この本には「未亡人百科」という項目もあり、未亡人の歴史についても書かれています。未亡人とは文字通り未だ亡くならない人、この言葉は江戸時代には出てきません。明治以降の言葉だそうです。「やもめ」は平安時代から使われていた言葉だそうで、一番古い表現のようです。

『男のヤモメを〈鰥夫(やもお)〉、女のヤモメを〈寡婦(やもめ)〉と呼んだ、とある。
当時のヤモメは、配偶者・家族・新関のいないひとり者で、普通の住民としての義務も果たすことのできない貧困者というニュアンスを含んでいたらしい。
今も役所で配偶者を失った男女(寡夫・寡婦)に使われる〈寡(やもめ)〉という言葉は、その成立からして、世間並の男女カップルからは外れた人、ということからはじまっているのである。』(P231)


江戸時代に盛んに使われる「後家」という言葉は国産で(未亡人は中国の『左傳』から)女性のみに使われます。男の後家さんとかたしかに聞いたことはないですね。



『本格的に未亡人という言葉が出てくるのは、日清日露専属の頃からである。
近代国家になった日本は、この戦争によって約十万人という戦死者を出した。戊辰戦争や西南戦争とは、桁違いの死者の数である。
働き盛りの男たちの大量死は、同時に、世の好色の代名詞となっている〈後家さん〉を大量発生させる結果になってしまった。
このことに、国家主義の人々は、国に残してきた妻が〈後家さん〉となって、男たちの好奇の視線に晒されるのかと思うと、心配で戦意も萎えるのではないか……!
というわけで、ここに国家についてよって大量に生み出された〈後家さん〉たちのために、〈未亡人〉という尊称が使われはじめたらしいのである。』(P232)


「尊称」には棒点がついています。また『当時の記録を見ると、戦没者の妻は〈未亡人〉であるのに対して、夫が病死した魚屋のおかみさんは、昔ながらの〈後家〉であるところから、当時は使い分けらしいのであるれていたものとみえる。』とありました。


「未亡人」という言葉ひとつにしても、いろんな時代背景があることに、驚きというか、なんというか、スゴいなぁ・・・と思ったワタクシなのでした。お墓の話も興味深いものでしたが、こちらはまた別の機会にしたいと思います。



向井さんのおばあ様もダンナ様と別れて50年(同い年だとして)いろんなご苦労があったでしょうし、ダンナ様も心残りがたくさんあっただろうなぁと思いますが、おふたりがいたからこその向井理さん、命のつながりについて、またいろいろ考えるきっかけになりますね。



今日はあたたかいですが、夜には冷え込むとか・・・皆さまもお身体に気をつけて下さいませ。




rohengram799 at 11:38コメント(10)トラックバック(0) 
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