鴨居羊子

2016年06月11日

閑雲便りNo.15:ピンクの……( 〃▽〃)

おはようございます\(・o・)/ 昨日は暑い1日でした~日差しが夏のようで……来週は梅雨空になるとか。体調管理が難しいです( ̄~ ̄;)



さてさて、閑雲便りNo.9:バナナと象でいただいたコメントから「スキャンティ~懐かしい言葉だ!!」と思いながら、具体的にはどんな下着なんだろう?とおやぢ根性全開で検索したところ、鴨居羊子(かもい・ようこ)さんという方が発明(?)されたとわかりました。私はピンク映画の宣伝としてエロい下着、スキャンダラスなパンツみたいな意味で作られた単語だと思っていたので、ビックリしました。


鴨居さんは1925(大正14)年2月、大阪府豊中市生まれ。1991(平成3)年3月18日、66歳で兵庫県西宮市の病院で亡くなっています。斬新な命名者であるだけでなく、ナイーブな絵を描いたり(弟さんは鴨居玲さんという洋画家・後述します)エッセイストも書いていてマルチな才能の持ち主だったようです。


昭和30年はじめといえば日本がやっと「戦後」から抜け出し、日本中の女性たちがパーマネントでウエーブを作り、かっちりかためた黒髪でかしこまっていた時代ですが、羊子はそんな黒髪をライオンのような金髪に染め上げていたそう。今東光(こん・とうこう)さんは羊子が立ち上げた下着メーカーの呼びかけ人になり、ヌードダンサーたちによる下着ショーを演出。

“えびすめ”でお馴染み(?)の山崎豊子さんは「鴨居羊子は昭和31年秋、いきなりスリップ、ガーター、パンティをひっさげ東京へ乗り込み、テアトル東京の舞台から七色のパンティを客席になげつけ、エレガントのお好きな東京人をあっといわせた」「お品が悪いとか露出狂だとかボロクソにやられても、話題になれば広告宣伝費に換算すると安いものやという彼女の算盤(そろばん)の持ち方はまさしく大阪の女の才覚である」と書いていたそうです。
 


羊子が創業した会社は「TUNIC」。『下着ぶんか論』(1958年)という彼女が初めて書いた本の中に、社名の由来が書かれています。

《私の頭はエジプトの昔にさかのぼって、人間がはじめて衣類を着たときの喜びを名前に求めた。そして「チュニック」という名前にぶち当たった。日本ではチュニック・コートという名前でしか知られていなかったけど、エジプト人が初めて着た貫頭服のことで、「衣服」のことであり、狭義では「下着」のことでもあった。チュニック! 可愛らしい発音でしかも大きな意味のある名前。キメタと私は一人で手をたたいた。》



『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』という本もあります。ピンクのガーター・ベルト鴨居羊子──「そのひとの上にだけ天から降ってくる、美しくとりかえしがつかなく特別なできごと。」で彼女の魅力を堪能して下さい。こちらのブログで閑雲便りNo.13:胸の泉にに書いた塔さんのことを知りました。おやぢのエロ心…いえ好奇心がいろんな世界を見せてくれました。



弟の鴨居玲さん(1928年2月3日~1985年9月7日)についてはWikipedia等をご覧下さい。(前に載せていたサイトは見られなくなってしまいました。参考までにコチラを⇒https://nanboya.com/kottou-blog/kamoi-rei/


コメントをいただかなければ、全く知らずにいたことばかり……またコメントから学んだことを忘れないように書いていきたいと思います(´∇`)






rohengram799 at 07:04コメント(2) 
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