備忘の果実 〜オスカー戯言日記〜

好きなことを好きな時にチマチマと書いています☘️

2017年01月

新聞の折り込み広告に【注目 ガラケー(もしもし電話)あります】の大きな文字が・・・! もしもし電話ってなんだよ(・・;)と思ってしまいました。スマホだって「もしもし~」って言うでしょ? もしかして・・・言わないの?


「ケータイの部品は約6年でなくなります」ともあり、修理するよりバンバン買い換えてね!部品がなくなったらスマホにしてね!ってことなのかしら・・・一時期あった3G電波停止になるから早くスマホに‼みたいなのは、デマだったのか?
ちなみに三太郎が出ているコマーシャル柄が人気のケータイショップのチラシでした!


通信手段も自分が子どもの頃にくらべたら大きく変わりました。そんなノスタルジックな気分になる『電話ミステリー倶楽部』という13人の電話をテーマにしたアンソロジーを読みました。昔ながらの黒電話や公衆電話、ケータイを何台も持っていた若者、オレオレ詐欺など・・・社会風俗の記録にもなりますね。私の専門学校時代も知り合いは、高校地代に彼女に然別れを告げられて、かぐや姫の「赤ちょうちん」みたいに♪公衆電話の箱の中 膝を着替えて泣きました~をリアルに体験したそうです😢😢😢



高橋克彦さんの『電話』では「幸福なの?」というイタズラ電話なのか?的な問いかけがあり、佐川満男さんの歌う♪今は幸せかい~を思い出してしまいました!古いっ!



そして鮎川哲也さんの『笹島局九九○九番』では、電話番号トリックとか「ああ、あるよね、こういう勘違い!」と思いながら読んでいましたが、私が食いついたのは「猫ヶ洞」という地名でした! 猫のつく地名ってたくさんあるけれど、これは初めて聞いたかも・・・猫がほらほら、事件解決!ではないですが、名古屋市千種区の地名で、平和公園の一角には「猫洞池」があります。


尾張徳川家二代目藩主徳川光友の命令で農業用ため池として作られたもので、寛文四年(1664年)に上池が、寛文六年(1666年)に下池が完成した。江戸時代にはここを水源とする猫ヶ洞用水が作られて御器所方面の灌漑用に使われたほか、大曽根屋敷(現在の徳川園)付近にもここからトンネルを掘って水を供給していたという。下池は昭和になって埋め立てられ、上池のみが残っている。池が作られた当時この地は「金子山(かねこやま)」と呼ばれ、明治頃まで、この周辺を「金児硲・金子狭間(かねこはざま)」と呼んでおり、それから転じたとも言われる。尾張名所図会には猫洞池と記された。周囲の地名にも元の地名から転じたと思われる物が多数ある・・・とWikipedia情報です(^ω^)



名古屋といえば、ナナちゃん人形にコメダ珈琲にエビフライ・・・で『名古屋駅西 喫茶店ユトリロ』(太田忠司)に手羽先唐揚げ、寿がき屋ラーメン、味噌おでん などの名古屋めしの魅力が満載!とあったので読みたいと思っていたところ。また中村遊郭のあった場所は今はソープ街で、いかにもな雰囲気を残した外観の建物がデイサービス施設になっていたりして(何年か前のブログ記事で見たので今は違うかも?)・・・切り離せない性と生! 名古屋にキョーミ心身いえ興味津々になっています・・・(*/ω\*)



名古屋ってなんか三毛猫がたくさんいるイメージです。なんでだろ?




今日も風が強いですね。週末はあたたかくなるようですが、寒暖の差が激しいと体調管理が難しくです。


寒い時期にはやはり鍋料理ですが、漫画の「美味しんぼ』で全国区になったであろう、魯山人のエッセイを読んでいたら、えっ(;゜∀゜)な話が書いてありました。少し注意が必要かも・・・!




・・・それはともかく、当時は豚よりもむしろ猿を食っていた。私なども、ちょいちょい食ったもので、その肉はちょうどかつおの身のように透き通ったきれいな肉であった。感じから言えば、兎の肉に似ているが、当時の印象では、これも脂がなくて、そう美味いものではなかった。しかし、兎の肉よりは美味かった。
その後(私の十二、三歳の頃)猪の肉で美味かったと印象に残っているのは、前の例とは全く反対に、外見がやわらかく、くちゃくちゃした肉だった。これは堀川四条の肉屋が持って来たものであったが、見た目がいかにも見すぼらしい。だが食ってみると意外に美味かった。 
どの部分かはっきりしなかったので,その肉屋に聞いてみたら、「申し上げぬほうがいいでしょう」と笑っていた。なおも問いただすと、「これは肛門の周りの肉です」ということであった。
見てくれは悪いが、その味は素晴らしく美味かった。思うに、股の付け根から下方にかけての薄いやわらかい肉で、魚の鰭下にあたる味を持っていたのだろう。



当時というのは10歳くらい(1883年生まれ)、京都住まいだった時の話です。これも青空文庫の『猪の味』で読めます。猪鍋の作り方についても「おこだわり」のある魯山人センセーの意見をお読み下さいませ。



今回のタイトルは久生十蘭さんの『猪鹿蝶』を読んだので(笑) このように話についてもまた後日書きたいですが、猪に鹿は食べますが、昆虫食で蝶は食べないですね。その前の段階はありますが(((^^;)



今日は朝から伊坂幸太郎さんの『クリスマスを探偵と』を読みました。単行本未収録作品で、電子書籍で・・・伊坂さんが学生時代に書いたものをリメイクしたもので、30分もあれば読めます。サンタクロースにはいろんな説がありますが、この伊坂説(?)も加えて欲しいですね~寒い日にあったかいキモチになれる話です。やっぱりクリスマスシーズンに読みたかったなぁ・・・(´;ω;`)



さてさて・・・『失楽園』と言えば渡辺淳一さんですが、太宰治はそれより前に『失敗園』を書いていたのはご存知でしょうか? 大宰宅での出来事なのか、よそのお宅の話なのかはわかりませんが、とにかく失敗なんですね~家庭菜園にみのりがなくて、そこに植えられたニンジンやネギなどの嘆きのモノローグ集です。


ヘチマの棚を作るのに、夫婦喧嘩になり・・・ダンナさんが作ったけれど、どーもイマイチ・・・そして薔薇もあるのですが、女王さまの愚痴をお聴き下さい!


「ここの庭では、やはり私が女王だわ。いまはこんなに、からだが汚れて、葉の艶つやも無くなっちゃったけれど、これでも先日までは、次々と続けて十輪以上も花が咲いたものだわ。ご近所の叔母さんたちが、おお綺麗と言ってほめると、ここの主人が必ずぬっと部屋から出て来て、叔母さんたちに、だらし無くぺこぺこお辞儀するので、私は、とても恥ずかしかったわ。あたまが悪いんじゃないかしら。主人は、とても私を大事にしてくれるのだけれど、いつも間違った手入ればかりするのよ。私が喉が乾いて萎れかけた時には、ただ、うろうろして、奥さんをひどく叱るばかりで何も出来ないの。あげくの果には、私の大事な新芽を、気が狂ったみたいに、ちょんちょん摘み切ってしまって、うむ、これでどうやら、なんて真顔で言って澄ましているのよ。私は、苦笑したわ。あたまが悪いのだから、仕方がないのね。(以下略)」



私が一番笑ってしまったのは、叔母さんたちに「えへ! ありがとうございます~どーも、どーも」的に頭を下げている場面! なんかその場面が浮かんできて・・・戸建てのお家とかだったら、今でもこんな光景が見られそうです! この話も青空文庫で読めます。



寒さがきびしい毎日ですが、水仙など咲き始めて、ハクモクレンのツボミも大きくなってきて、少しずつ春がやってきていますね。 クリスマス・ローズも咲いています(^ω^)


今日1日、どうぞ穏やかに過ごせますように(о´∀`о)ノ


昨日は『高校殺人事件 』(光文社文庫) を読みました。


「BOOK」データベースより内容を紹介しますと

武蔵野台地の一画で、多摩川を見下ろす城跡に私たちの高校はある。高校三年生の私の仲間で詩人ポーの心酔者で、クラスメイトや先生から愛されていた通称「ノッポ」が学校裏の沼で絞殺死体となって見つかった。彼の死をきっかけに学校の周りで不思議な出来事が続発する。はたして事件の真相とは―。



『金田一少年の事件簿』みたいな、この青春してます!小説を書いたのは、あのままタラコ唇で有名な・・・あ、失礼!たくさんの社会派作品を書いていた松本清張さんです。意外! またSF的な作品も一作あるというので、Amazonで頼んでしまいました。


時代は古いのですが(1959~1960に書かれた)それを感じさせないのが、さすがです。物語の展開としては、同級生たちとの推理が行き詰まった時に、主人公のいとこ(もちろん女の子)がやってきて、外部の冷静な目線で少しずつ真相に迫っていくという・・・このいかにも!な雰囲気もワクワクして楽しいです😃💕



物語に享光院(きょうこういん)というお寺が出てきて、ここの住職の名前が倉田春恵(くらた・しゅんけい)というのですが、気が緩む(?)と「はるえ」と読んでしまい、金八先生で校長先生だった赤木春恵さんが浮かんでアレ?となってしまいました💦


さて、この春恵さんですが、南方戦線の「従軍僧」だった過去がありました。「従軍慰安婦」という言葉はもう巷にあふれていて、銅像まで作りまくる団体もいるくらいですが、「従軍僧」という言葉は初耳でした。


世界大百科事典 第2版の解説によりますと【軍旅に従う僧侶,すなわち陣僧のこと。戦陣に僧侶をともなうことは古くからあったが,とくに南北朝内乱期からこの傾向が著しくなった。後醍醐天皇につねに近侍した東寺長者の文観(もんかん),しばしば足利尊氏の軍旅に従った醍醐寺座主の賢俊はその典型である。彼らは当時一流の密教僧で,天皇や将軍に近侍して軍旅のまにまに逆徒退治,天下静謐(せいひつ)など護摩祈禱を修した。この意味では現世利益を祈念する祈禱僧である。そして他方,九州に西走する尊氏のもとに,賢俊が光厳上皇の院宣をもたらして尊氏の挙兵に大義名分を与えたように,彼らは貴族出身という俗縁を生かして,軍旅にありながら戦略,政略をたてる政僧でもあった。】とありました。そんなに歴史があったのか・・・!
また他にブログを読んでいますと

日蓮宗の折五条(おりごじょう)という簡易袈裟はなぜ使用されるようになったか?という質問がでました。 戦争に従軍した僧侶(従軍僧 じゅうぐんそう)が法服の上から大きな袈裟をかけていると動きにくいから小さく折りたたんだ名残、なのですが(略)


とありまして、う~ん、まだまだ知らないことがたくさんだわと思いました。アメリカでは「従軍牧師」を派遣しているようです。詳しくはWikipediaなどを読んでみて下さいませ。



今日はまた寒い1日になりそうですね。どうぞあたたかくしてお過ごし下さいませ。


昨日は休みだったので、のんびりダラダラ過ごしました。しかし、午後買い物に出掛けたら、本当に一部の範囲だけミゾレに近い雨が降って、ビックリしました。大気が不安定ってこういうことをいうのかしら?と思いましたよ~その辺は青空になりました(((^^;)



仕事帰りなど、電車やバスを待ちながら、イマイチ自分でも記憶ないのですが、いくつか無料の本をダウンロードしているらしく(;゜゜)……リルケの『窓』がライブラリにありました。短編なのかと思っていたら、散文詩だったみたいです。Kindleでなくても「青空文庫」「リルケ」「窓」で検索すると、全部読めると思います。私は「Ⅴ」の文章が好きです。




窓よ、お前は、どんなものでも
何んと儀式めかしてしまふのだらう!
お前の窓枠の中では、人は直立不動になつて
何かを待つたり、物思ひにふけつたりする。

そんな風に、放心者うつけものだの、怠け者だのを、
お前はよくお小姓のやうに立たせてゐる。
彼はいつも同じやうな姿勢をしてゐる。
彼は自分の肖像畫みたいになつてゐる。

漠とした倦怠にうち沈みながら、
少年が窓に凭もたれて、ぼんやりしてゐることがある。
少年は夢みてゐる。さうして彼の上衣を汚してゐるのは、
少年自身ではなくて、それは過ぎゆく時間なのだ。

又、戀する少女たちが、窓に倚つてゐることもある。
身じろがずに、いかにも脆さうに、
あたかもその翅の美しいために、
貼りつけられてゐる蝶のやうに。




訳は『風立ちぬ』で有名な(私は読んだことがない)堀辰雄さんです。漢字が読めない‼みたいなのもありますが、「恋」より「戀」の方がトキメキの度合いが違う気がするします。しかし、なんと美しいのか・・・やはり、リルケ詩集は女学生が持つにふさわしいですねぇ~! 必ず胸がキュン💖とするフレーズがあるはずです😆😆😆




この『窓』を読んで、谷山浩子さんの歌う『窓』を思い出しました。



♪教室の窓から見る秋は いつも不思議に光ってた
北向きの窓のすリガラス ギリシャの海も見えた……


そして、サビの部分がまたたまらないのです。


♪やさしい時代を置き去りに やがて街へとび出した僕には 教室の窓がもう見えない
夢の行き場がどこにもない



もう、少年ではいられない。かといって、あきらめをさとりと言い換えるような大人にもなりきれない・・・メロディと歌声がまた切なくもどかしいのです。YouTubeの画像貼り付けとかわからないので、興味を持たれた方は検索して聴いてみてくださいませ。




民法改正で結婚出来る年齢を男女ともに18歳にしようという動きがまた(?)あるとか・・・今は初婚の平均年齢が男女とも30歳前後になっているようですが、急いで結婚して本当にずっと長く生活を維持出来るのか、気になりますわ。准高齢者にはまだ早い年齢の親をアテにしているのかしら?



まだまだ寒い日が続きます。皆さま、お身体に気をつけて下さいませ😃💕


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