2011年05月12日

第484号:赤い一文字

昨日はワタクシの大好きな土方さんの命日、今日はナイチンゲールの誕生日で『看護の日』でもあります。これをムリヤリ結び付けて…というワケではなく、前から書こうと思っていた陸自衛生学校『彰古館』のお話を(((^_^;)


『彰古館』は、軍事医療に関する歴史博物館です。自衛隊の教育機関に所属する資料館ですが、あらかじめ予約をすれば誰でも見学出来る開放された施設です。


私は昨年発行された《歴史群像》No.103で初めてその存在を知りました。明治10年に描かれたという西南戦争の衛生隊の兵士を描いた絵、背負っている医療背嚢(リュックみたいなもの)には赤十字のマークはなく、赤い横一文字マークが。日本がジュネーブ条約に加盟したのが明治19年なので、まだ赤十字は使用されていなかったんだそうです。ほぉ~小学校で習った「赤十字の父アンリ・デュナン」をなんとなく思い出しましたわ(((・・;)


最古の臨床用エックス線装置や乃木大将が考案したという、戦傷者のための義手なども展示されているようです。


日清戦争時に日本赤十字から派遣された看護婦(今は看護師)さんたちの写真、髪をきっちり束ねてお顔もキリッ!!としています。緊張のためかもしれませんが、軍艦見学のご婦人方とは当たり前ではありますが、全く違います。


当初は、浴場など女性用の施設を設けることが困難という理由の他「名誉の負傷が女の手で汚される」という意見まで出されて反対されたそうです。徐々に彼女たちの優秀さが認められたそうですが、そういう時代だったんですよね。


今は身体も心も、手と目で護らねばなりません。ありとあらゆる「いのち」のために何ができるか、考える日でもありますね。




《彰古館》
東京都世田谷区池尻1-2-24
問い合わせ先は陸上自衛隊衛生学校 広報室
03(3411)0151 広報室内線2211 彰古館内線2405


《知られざる軍陣医学の軌跡》(書籍・一般書店にはありません)
防衛ホーム新聞社のホムペから購入できます。明治10年に日本初の脳外手術とか…未知なる医学の扉が開くかも!?

http://www.boueinews.com/




rohengram799 at 17:22コメント(12) | 医療・臓器移植・介護・福祉関係 | アート・博物館・美術館 

コメント一欄

1. Posted by まろゆーろ   2011年05月12日 21:24
おぉ、池尻!!!
近くに住んでいたのに……。

いのち、今日もまた若い命を自ら絶ってしまったタレントさんがいますね。
学校教育でお勉強も大切ですが、社会に出て役に立つような事柄、もっとたくさんあると思うのですが。
それと寝た子を覚ますような「差別」の教育。ことさら声高に啓発しているようで、よく分かりません。
命、マナー、優しさや思いやり……。どんどん無くなっていっているんですけどね。
2. Posted by 松尾陽   2011年05月12日 22:32
命の解釈も人それぞれですね。
それぞれなりに重く受け止めているのでしょう。
自分の命だけでなく、人の命にも向きあっていく職業の方はすごいと思います。

看護師のことは、時代が変われば価値観が変わるという例ですね。
女性の立場は特に変わりやすいと思います。
3. Posted by もちつきママ   2011年05月12日 22:58
社会的に女性が日本で認められたのって、
本当に最近なんですよね…
私が介護士として働いていた時も、
高齢の利用者様から「女性は結婚したら、仕事を辞めろ」
「早く子供を作れ」って、かなり言われましたよ~
でも、看護も介護も、「女性ならではの目線」って大きいです。
「いのち」を産み落とすことの出来る女性は、
やはり「いのち」に対して、出来ることが多いと思います。
4. Posted by オスカー   2011年05月13日 00:43
§まろゆーろ様
ツヨちゃんの番組にもよく出てくれたんですよね。こんな時だからこそ辛さを乗り越えて欲しかったです

§松尾陽さま
「いのち」について語られる本はたくさんあるのに、実態がつかめない…ちょっとユーレイみたい!と思ったりして(((^_^;)

§もちつきママさま
看護と介護、思いやりの土台は同じですよね。子どもがいてもいなくても男でも女でもイキモノに「母性愛」は共通だと思います☆
5. Posted by なう60   2011年05月13日 08:02
おはようございます。
オスカ-さんの発想、行動に感嘆です。
「日清戦争時に日本赤十字から派遣された看護婦(今は看護師)さんたちの写真、髪をきっちり束ねてお顔もキリッ!!」日本人にキリッ!とした顔が少なくなって「平和」が長く続いた結果でしょうか>スポ-ツの世界のキリッ!とした顔を見ると頼もしくですね。
太平洋戦争の生死を越えての軍人には、「鷹の眼」の人がいました。真珠湾攻撃時の参謀「源田 実」さんの眼は、本当に鋭い鋭い「鷹の眼」でした。英知の結集、「東日本大震災」
復旧、復興に向けて、全英知を傾けて「鷹の眼」政治家の出現を期待しています。
6. Posted by かほこ   2011年05月13日 08:53
今は女性の立場も随分上がりましたよね。
とは言ってもまだまだ完全ではありませんけど。
ただ、それが「差別」の時もあれば、「区別」の時もあるし、実際全く同等に扱われるのがいいとも思えない。
「同じ重さのモノを持って」と言われても、男性が持てる重さの限界を、女性が持つ事は基本無理ですしね。

少なくとも言えるのは、今の私には当時の時代はとても生きていけそうにないって事です(苦笑)
7. Posted by オスカー   2011年05月13日 10:09
§なう60様
衛生兵や軍医について語られた文章を読む機会がなかったので…すごく興味深い特集でした。音楽隊とか直接戦闘に関係ないと思われそうですが、それぞれの立場で「いのち」をまもってきた人がいるわけですよね。

§かほこ様
赤十字から派遣されるくらいなので、とても優秀だったに違いないですね。また当時女性でそんなに学問を修められる恵まれた人はいなかったでしょうから、責任感もハンパなかったと思います。
8. Posted by Ash   2011年05月13日 11:28
日本の医療が色々な意味で発展した時代ですねー。
結構面白そうな資料館だなぁ~。

> 当初は、浴場など女性用の施設を設けることが困難……

この書き方だと、男尊女卑の結果……とも受け取れますが、
個人的には、何でもいいから女性を戦場に出さない
という理由があったような話も聞きます。

確かに、捕虜になった場合の扱いとかを考えると、
女性の方が悲惨な目にあう可能性が高いし。
何よりも『産む機械』発言をするつもりはありませんが、
単純に国を支える意味で考えた時、将来を決めるのは
男性よりも女性というのがあるのかなーと思ったりします。

何が正しいのかはわかりませんけども(苦笑)。
9. Posted by あっきー   2011年05月13日 12:31
私の父の一番上のお姉さんが従軍看護婦だったそうです。
私が生まれた頃は、叔母はもう亡くなっていて、会ったことはないのですが。
もし、元気なうちに会えていたなら、当時の看護婦さんの話を
いろいろ聞きたかったです。
10. Posted by オスカー   2011年05月13日 14:49
§Ashさま
「富国強兵」とか今だと違う文字で、人名扱いになりそうです…はぅ!!言葉って受け取る人の考え方、感じ方でずいぶん変わりますよね。当時も今も真意を図るのは難しいです。

§あっきー様
本当の気持ちを言えないまま、生涯を終えた人々もたくさんいらしたでしょう。記憶も薄れていきますし…。日本が戦争していたのが遥か昔のように思いますが、まだ終戦から100年もたっていないんですよね。
11. Posted by ナオたん   2011年05月14日 07:31
5 軍事医療はあまりメディアなどで取り上げられないだけに、こういった場所に出向いて知ることは大事だと思います

時代背景の違いで当時の方たちは、いろいろな苦労があったんですね

『彰古館』のような施設はずっと残してほしいと思います
12. Posted by オスカー   2011年05月14日 12:10
§ナオたん様
ミリオタではありませんが、いろんな雑誌で興味深い記事を見つけると、おお~!!ってつい(笑)ミリメシの本も読みます!食べたくはないですが

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
月別アーカイブ