昨晩『聖灰の暗号』を読み終わりました。聖杯ではなく聖灰……火あぶりになるとわかっていても持ち続けた信仰心、後世に遺し伝えなくてはという強い想い、私欲丸だしの醜いエセ宗教家、聖書に書かれた内容の解釈など……史実ではなく物語なのだとわかっていても、世界のどこかでこれに近い出来事があったのではないか、などといろいろ考えさせられました。
今日はどうしようかな~と悩んだ末(大げさな)久しぶりに江戸川乱歩賞受賞作品にするか!で渡辺 容子さんの『左手に告げるなかれ』(第42回・1996年受賞)を読んでいます。たしかドラマにもなったよな~と思って確認したら天海祐希主演でした。
スーパーの保安士(万引きGメンですかね)・八木薔子(しょうこ)は、3年前に別れた愛人・木島の妻・裕美子が刺殺された事件で嫌疑がかかり、無実をあかすために真相を調べ始める……のですが、木島が伊武雅刀……ユリちゃん(天海)も合わないけれど、彼もイメージにあわないなぁ……と思いました。ユリちゃんって不倫とか想像しにくい女優さんだと思う……江角マキコの方がなんとなくしっくりくるかな~と。まぁ個人的な感想です。
タイトルは聖書のマタイ伝の言葉で《施しをするときは、右手のしていることを、左手に知られないようにしなさい》からのようです。おお、ここでも聖書が!と帚木さんの本との繋がりを感じたりして。木島の奥さんがボランティアに熱心な人だったのですが、それを「アタクシ、こんなに社会貢献してますのよ、スゴいでしょ、えらいでしょ!」で、この聖書の言葉の意味など理解できないタイプだったようで……。
高田敏子さんの『浅草観音』という詩の一部を新聞コラムで見つけて、全文を知りたくて検索してみました。私も浅草に出掛けて、右手と左手をあわせたくなりました。
《浅草観音》(高田敏子)
神さまや 仏さまが
ほんとうにいらっしゃるかどうかー
でも あの合掌したときの安らぎは
どこからくるのでしょう
右の手の悲しみを
左の手がささえ
左の手の決意を
右の手がうけとめる
その上を流れる静かな時間
こうした姿勢を教えて下さったのは
どなたでしょう
ふりむくと青い目の外人さんも
手を合わせて・・・・・
小さな小さな観音さまと
なにをお話したことやら
*前の記事にコメントをありがとうございました。お返事書かせていただきました。
今日はどうしようかな~と悩んだ末(大げさな)久しぶりに江戸川乱歩賞受賞作品にするか!で渡辺 容子さんの『左手に告げるなかれ』(第42回・1996年受賞)を読んでいます。たしかドラマにもなったよな~と思って確認したら天海祐希主演でした。
スーパーの保安士(万引きGメンですかね)・八木薔子(しょうこ)は、3年前に別れた愛人・木島の妻・裕美子が刺殺された事件で嫌疑がかかり、無実をあかすために真相を調べ始める……のですが、木島が伊武雅刀……ユリちゃん(天海)も合わないけれど、彼もイメージにあわないなぁ……と思いました。ユリちゃんって不倫とか想像しにくい女優さんだと思う……江角マキコの方がなんとなくしっくりくるかな~と。まぁ個人的な感想です。
タイトルは聖書のマタイ伝の言葉で《施しをするときは、右手のしていることを、左手に知られないようにしなさい》からのようです。おお、ここでも聖書が!と帚木さんの本との繋がりを感じたりして。木島の奥さんがボランティアに熱心な人だったのですが、それを「アタクシ、こんなに社会貢献してますのよ、スゴいでしょ、えらいでしょ!」で、この聖書の言葉の意味など理解できないタイプだったようで……。
高田敏子さんの『浅草観音』という詩の一部を新聞コラムで見つけて、全文を知りたくて検索してみました。私も浅草に出掛けて、右手と左手をあわせたくなりました。
《浅草観音》(高田敏子)
神さまや 仏さまが
ほんとうにいらっしゃるかどうかー
でも あの合掌したときの安らぎは
どこからくるのでしょう
右の手の悲しみを
左の手がささえ
左の手の決意を
右の手がうけとめる
その上を流れる静かな時間
こうした姿勢を教えて下さったのは
どなたでしょう
ふりむくと青い目の外人さんも
手を合わせて・・・・・
小さな小さな観音さまと
なにをお話したことやら
*前の記事にコメントをありがとうございました。お返事書かせていただきました。
コメント
コメント一覧 (14)
「神さまや 仏さまが ほんとうにいらっしゃるかどうかー」ですがお寺さんそして神社での参拝、自然に合掌
「無心でお頼みごと」なく自然に自然に合掌、神様、仏様がいる感じです。
江戸川乱歩って三重の人なんですよね。映画監督の小津安二郎も同じ三重の人だし…(生まれは東京みたいですが
今日、テレビでも活躍された橘家円蔵師匠がお亡くなりになったと聞きました(実際はもっと前に亡くなっていたけど故人のご意向で伏せられていたらしい)。私はあいにく生の高座を拝見しないまま終わってしまいましたが、同じ芸人の間でも人望が厚く、慕われていたと聞きます。
私も右の手と左の手を合わせ、 静かにご冥福をお祈りしたいと思います。
高田敏子さんの詩。納得だらけです。
宗教や信心というのは謙虚でなければなりません。たおやかな心で信仰を重ねることが大切だと思います。
体調は如何ですか。無理なさいませんように。
信仰というものは静かであってほしい。そんな風に思う昨今です。
既成の信仰の静かさが好きです。しかし日本って本当に宗教に寛容な国だと思いますね、ほかではありえない、その寛容さもまた好きなところです。
高田敏子さんの詩、ずきーんと来ました。
祈りとは何かを改めて考えさせられました。
素敵な詩をご紹介くださってありがとうございます。
ご体調如何ですか、ご無理なきようねがいますね^^。
さて、先日アメリカ人のお友達がさらっと教えてくれた、アメリカ版の「祈り」についての短い話です。
「君が毎日聖書の祈りをするようになって、得たものは何なの?」
「得たものは、何もないよ。でも、失ったものは沢山ある。
昨日のことを、くよくよしなくなった。
今日のことを心配することも、なくなった(神様が、良きようにはからってくれるから)。
他人を批判することも、少なくなった。
自分の自慢をすることも、止めようと思うようになった。
見栄をはる心配も、しなくなった。
そして、死ぬことを恐れることもなくなったよ」
手を合わせると、人の心は落ち着くものですね。そういう時間を、思い出しました。
お願いをするのではなく決意や報告、感謝をするのが正しいお詣りときいたことがあります。「いいことはおかげさま 悪いことは身からでたサビ(相田みつを)」心します!
内容は無理矢理感がありまとまりがなかったです。江角さんより篠原涼子が主役に合いそうと思いました。キライな女優さんのひとりなので呼び捨て…(^o^;)
橘家円蔵師匠の名前を聞いて、ハテ?でした。私にはいつまでも「円鏡」さんでした。残念です。 昨日『心の鏡』を読み終わりました。老人斑を「おむかえぼくろ」と言うのに、とてつもなく感動しました。
『叫びと祈り』というタイトルの本も買っていたことを思い出しました! いつ読み始めるか、まだわかりません(笑) のんびりベンチで読書とかしてみたい秋です。
高田敏子さんの詩は久しぶりに読みました。『日々』という詩もしみじみしました。
自然と手をあわせてしまう時ってありますよね。あわせた手の中には無限の宇宙がある気がします。夕べはなんかアツくてなかなか眠れませんでした…(;´д`)
アメリカ版「祈り」についてのお話、おお~!ちょっとあまのじゃくな言い回しがいい(笑) 何をなくして何を得たか、伝え方により印象も違うものですね。ありがとうございました。