2018年06月11日
芸香雲便りNo.10:OKINAWA
読売新聞の「四季」、いろんな俳句や短歌が長谷川櫂さんの言葉とともに紹介されています。今月は「沖縄慰霊の日」があることを意識してなのか、先週は桃原邑子(ももはらゆうこ)さんの歌集『沖縄』からの短歌が載っていました。
生きのびることは絶対に悪なりきその悪をひきずり歩むいつまで
戦争に巻き込まれ、生きのびたことを喜ぶのではなく「悪」と感じてしまうとは、なんと苦しいことなのか・・・と思った翌日の一首もまた衝撃でした。
本土よりの修学旅行の少年が平和の礎(いしじ)仰ぎ「ああ僕も戦死したい」
まだ「僕」と言っているのなら、あどけない少年なんでしょうか、毎日が彼にとっては「戦争」なんでしょうか、誰かに命を絶ち切ってもらいたいと思う出来事が続いているのか・・・この平和ボケが!と一喝するのは簡単だけれど、それだけではいけないような、何もならないのでは・・・と思ってしまう私はダメ人間なのか。
以下、長谷川さんの言葉です。
あの夏、住民たちが追い詰められた沖縄南端の摩文仁。平和の礎には二十四万人の名前が刻まれている。不謹慎な少年を咎めることもないかもしれない。海のそよ風のように微笑んでいればいい。これも平和の光景。
【沖縄慰霊の日関連記事】
http://www.okinawatimes.co.jp/subcategory/%E6%85%B0%E9%9C%8A%E3%81%AE%E6%97%A5
【平和の礎】
http://www.okinawastory.jp/spot/1361
生きのびることは絶対に悪なりきその悪をひきずり歩むいつまで
戦争に巻き込まれ、生きのびたことを喜ぶのではなく「悪」と感じてしまうとは、なんと苦しいことなのか・・・と思った翌日の一首もまた衝撃でした。
本土よりの修学旅行の少年が平和の礎(いしじ)仰ぎ「ああ僕も戦死したい」
まだ「僕」と言っているのなら、あどけない少年なんでしょうか、毎日が彼にとっては「戦争」なんでしょうか、誰かに命を絶ち切ってもらいたいと思う出来事が続いているのか・・・この平和ボケが!と一喝するのは簡単だけれど、それだけではいけないような、何もならないのでは・・・と思ってしまう私はダメ人間なのか。
以下、長谷川さんの言葉です。
あの夏、住民たちが追い詰められた沖縄南端の摩文仁。平和の礎には二十四万人の名前が刻まれている。不謹慎な少年を咎めることもないかもしれない。海のそよ風のように微笑んでいればいい。これも平和の光景。
【沖縄慰霊の日関連記事】
http://www.okinawatimes.co.jp/subcategory/%E6%85%B0%E9%9C%8A%E3%81%AE%E6%97%A5
【平和の礎】
http://www.okinawastory.jp/spot/1361
コメント一欄
1. Posted by 猫ムスメ 2018年06月11日 09:39
生き残ることを悪と感じてしまうのは悲し過ぎますね。もう二度と起きてはいけない…と思う一方、近い将来、近隣某国と否が応でも戦争が起きる気が致します( ; ; )
昨日は講談「与謝野晶子」をテレビで聴きました。弟への思いが伝わりますね。
昨日は講談「与謝野晶子」をテレビで聴きました。弟への思いが伝わりますね。
2. Posted by ミューちゃん 2018年06月11日 11:16


時々、思うんです。もし僕が毎日のように空襲に怯えながら過ごしていたら、僕は生き残れる強さが有るのかと…。生きるのを申し訳なく思う気持ちって計り知れない苦しさを感じますよね。
3. Posted by オスカー 2018年06月12日 07:50
猫ムスメ様
常に戦争が身近にある暮らし・・・想像出来ませんが、実際にそういう人たちがいるのですよね。安全な場所から戦争をけしかけ、愛国心を賛美する、そんな為政者はいらないです。
常に戦争が身近にある暮らし・・・想像出来ませんが、実際にそういう人たちがいるのですよね。安全な場所から戦争をけしかけ、愛国心を賛美する、そんな為政者はいらないです。
4. Posted by オスカー 2018年06月12日 07:54
ミューちゃん様
私も何かあったら「生きる」ことに最後まで執着出来るのか、考えてしまいます。すぐに諦めてしまうような、その前に何も出来ずに固まってしまうような・・・。
私も何かあったら「生きる」ことに最後まで執着出来るのか、考えてしまいます。すぐに諦めてしまうような、その前に何も出来ずに固まってしまうような・・・。