さようなら

2020年04月25日

鎮月雲便りNo.24: 仮のことば

さよならは仮のことば


さよならは仮のことば
夕焼けと別れて
ぼくは夜に出会う
でも茜色の雲はどこへも行かない
闇にかくれているだけだ

星たちにぼくは今晩はと言わない
彼らはいつも昼の光にひそんでいるから
赤ん坊だったぼくは
ぼくの年輪の中心にいまもいる

誰もいなくならないとぼくは思う
死んだ祖父はぼくの肩に生えたつばさ
時間を超えたどこかへぼくを連れて行く
枯れた花々が残した種子といっしょに

さよならは仮のことば
思い出よりも記憶よりも深く
ぼくらをむすんでいるものがある
それを探さなくてもいい信じさえすれば




谷川俊太郎さんの詩をしみじみ読みたくなる晩春……
アマビエだけでなくヨゲンノトリもいたのですね。しかも山梨から発信されていたとは……知らなかった。

https://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-12591791102.html


こちらはpixivにあったアマビエとヨゲンノトリの漫画。
https://www.pixiv.net/artworks/80694359



下書き記事がなくなって、書き散らかしたメモ書きしかなくなってきた………ので、GW明けくらいまでブログ更新はないかもしれません(-ω-;)


皆さま、どうぞお身体に気をつけて下さいませヾ(´ー`)ノ



rohengram799 at 11:30コメント(8) 

2016年05月25日

香雲便りNo.28:さよならは誰に言う(´-ω-`)

『さようなら』 千葉綾音さん(小6)

友達にさようなら
学校でさようなら
でも
学校でのさようならは二つあって
一つは毎日言って、もう一つは感謝の気持ちをこめて
ほがらかに言うものなんだよ



読売新聞の「こどもの詩」コーナーに載っていたこの詩を読んで、谷川俊太郎さんの『ありがとうの深度』を思い出しました。


心ここにあらずで
ただ口だけ動かすありがとう
だだ筆だけ滑るありがとう
心得顔のありがとう
心の底からこんこんと
泉のように湧き出して
言葉にするのももどかしく
静かに溢れるありがとう
気持ちの深度はさまざまだが
ありがとうの一言に
ひとりひとりの心すら超えて
世界の微笑みがひそんでいる



「さようなら」や「ごめんなさい」の深度もさまざまなんだろうなぁ、と言葉を入れ替えて考えてみたりして(^。^;) 私が印象に残っている「さようなら」は、応援していた宝塚の娘役さんが退団する時にくれた挨拶状にあったこの文章です。

『さようなら、という言葉には、今までありがとうございましたというお礼の意味と、これからもお互いがんばりましょうという意味があると思います。』


そして第450号:サヨナラのおまじないに書いた歌詞ですね。今でもこの歌は大好きです。



テレビで「さようなら」は永遠のお別れみたいだから、今は使わなくなっていて死語に近いと言っていました。友だちだったら「バイバイ」「またね」とかで仕事関係だと「お疲れさまです」を使って「さようなら」は、ほとんど言わないそうです。前にも書いたと思いますが「さようなら」は「左様ならば(さやうならば)、これでお別れしませう」が略されたもの。「左様ならば」は「そういうことならば」「それでは」との意味。「さようなら」の後に「またね」をつけたら、さみしさやかなしさが薄まる気がするんだけれど……それは私だけ? 



……なんてことをダラダラ考えていたら今日の読売新聞・編集手帳に『さようならの事典』から引用した一文がありました。『さようならの事典』(編集 窪田般彌・中村邦生)は別れをテーマに英米仏の映画や小説、偉人などの言葉をまとめた事典。「原文と訳に加え編集者の解説が載った味わい深い一冊」らしい。この事典については2008年1月1日付の編集手帳にすでに登場していました。

……(前略)正月はマラソンランナーの給水ポイントに似ている。処世の山坂で雨に降られ、ときに転倒しながら、へとへとになってたどり着く。水分を補給して生き返り、また走らねばならない(略)作家アルフォンス・アレーは書いている。「大時計のチクタクという音は、まるで時をかじるネズミのようだ」と(「さようならの事典」より)。今年もネズミたちは容赦なく時をかじり、走れ、走れと、鬼コーチのように尻をたたくだろう(後略)……


この年はネズミ年だったのですね(笑) ちなみに今日のは夫人が存命中に墓石に彫る言葉を考えた17世紀英国の詩人ジョン・ドライデンの言葉でした。

《ここに葬られしはわが妻。安らかに妻を眠らせたまえ! 今ようやく妻は心安らぐ、私もまたしかり》


彼はこれを実行出来たのか、反対に妻が“わが夫”と書き換えて刻んだのか……気になるところではありますが(笑)「さよならは誰に言う?」「さよならは悲しみに」……で千葉県知事のこの歌で今日はおさらば!(クダラナイ話につきあわせてごめんなさい!いつもありがとうございます!)……(´・ω・`)/~~



♪さみしさも悲しさも
いくたびか出逢うだろう
だけどそんな時でも
さらば涙と言おう






rohengram799 at 10:40コメント(12) 

2013年05月29日

ヒコーキ雲便りNo.45:「さようなら」の向こう側

ちょっとお休みしてしまいました~皆さま、お変わりありませんか? いよいよ梅雨入りか?みたいなジメジメした空気がイヤですね(--;)


お店のトイレの壁にドーン!!と『クロユリ団地』のパチ台ポスターがあり、ブキミちゃんでコワイです……どんな人がこの台で遊ぶのか?導入はまだ先ですが、客層がなんとなく気に気になりますわ(((^_^;)


さて団地と言えば「団地妻」ではなくて('~`;)マンモス団地に住む少年(まぁ大人になりますが)を主人公にした『みなさん、さようなら』を思い出します。こちらも映画化されたみたいですね。文庫の帯にはそんな煽り文句がなかったので全く知らなかった…!


芙六小学校を卒業したのは全部で107人。みんな、団地に住んでいました。「中学には行かない」と宣言して本当に団地敷地内から出ない主人公の悟。マンモス団地なのでそれなりに施設も店舗もあり、不自由を感じず、中学・高校と進学していく友だちと喋り、恋をして、ケーキ屋で働いたりもして……このままずっと団地で生きていこうと考えている。しかし、親の転勤や自分の進学・就職などで同級生はどんどん団地からいなくなっていく。なぜ彼は団地から出ないのか?同級生が帰宅したかどうかのチェックに体力作りをかかさないのか?母親の「ヒーさん」はそんな彼に何も言わないのか?自宅に引きこもりではなくて、団地の敷地内から出ないのはなぜ?それは物語の中盤でわかるのですが……ラストはあっさりしすぎかなぁ~予定調和っぽいのでいささか失速感があるかも?母親との関係も、もうちょい書き込んで欲しいような……前半エロ系描写にチカラ入れすぎた?と思ったりして(笑)


だんだん月日が経つにつれて、団地から人がいなくなり、治安が悪くなって孤独なまま亡くなる人もいて……同じ場所にずっと住んでいるとわかる移り変わり。うーん、ウチから少し離れた場所にある団地もそんな廃れ具合です。不動産広告とか見るとものすごい安い値段で売りに出されていますが、ちょっとアソコには住みたくない…って思ってしまう。駅周辺もさみしい感じだし。


小さい頃は団地って憧れでした。田舎は大きな農家とかたくさんありましたけど、コンクリートの建物は都会のイメージだったし、いつでも友だちが近くにいるっていいな~と思っていました。実際は近すぎてうっとおしいくイヤなことも多いんでしょうけどねぇ…。


そうそう、知らぬ間にウチのマンションの管理人さんが変わっていました!!こういうのは知らせてもらえないのかな~前のオジサンがとても良い人でしたが、今度の人は「ぬぼ~」としている感じでちょっと不安。ちなみに私の仕事の新しい担当者もちょっと…でいろいろ不安です(´д`)





rohengram799 at 07:49コメント(7) 

2011年03月30日

第450号:サヨナラのおまじない

2、3年前でしょうか、NHKで『アリソンとリリア』というラノベが原作のアニメを放送していました。木曜日でちょうど『アメトーク』と時間がかぶり…見たり見なかったりになってしまいましたが、全体的にハートフルな展開で、私は気に入っていました。


そのエンディング曲が《サヨナラのおまじない》でした。内容にあったポップな感じでこのフレーズが好きでした(*^^*)


♪さよならはいつだってまた出会うための おまじないなんだって いつも思ってる ギュッと


この時期は卒業、就職、入学、おめでたく結婚!で家族や友達、職場の仲間と「今までありがとう。元気で…またね」なんて言葉をかわしてサヨナラをする機会があったと思います。


誰かとお別れする時はいつも悲しい、せつない…送る側でも送られる側でも…(/_;)/~~


自分が東京でひとり暮らしを決めた時のこととか、最初の夜のこととか、なんだかまわりの様子がわからなくて不安だったりした、18の乙女の頃を思い出しますρ(・・、)


誰かにサヨナラを言う時は、どんなかたちでもいつか「また出会うためのおまじない」だという気持ちも一緒に相手に渡してほしいです。


この春、旅立つ皆さまの記憶に少しでも残る話題になったら嬉しいです。


♪何処までも伸びてゆく、道の上に立つ今
さえない日々を抜けて、探す宝物 君と夜を超えて…

胸の奥にある、誰にだってある夢や希望を
僕は君と今、叶えるためにここにいるんだよ…ずっとね!






rohengram799 at 13:43コメント(12) 

2010年12月17日

第360号:アナタとは違うんです(-_-;)

お試し期間終了が待ち遠しいワタクシ、まずはこちらをお読み下さいませ。



今週は『お疲れ様』を言わない一週間にします。
・特に疲れていないのに 「お疲れ様」というのはどうなのか
・普段当たり前のように使っている言葉だからこそもう一度使い方を考えてみる
・スタッフ同士の挨拶について個人個人で考える一週間にしたい
と理由はいろいろありますが、まずやってみて下さい。自分の中で習慣化されている「言葉」がみえてくると思います。



この『お知らせ』もどきに、皆さまは何を思われましたか? 昨日は「ごきげんよう」と言っていた人がいると聞いて、正直あきれました……職場で!?(゜д゜)


少し調べてみたのですが……「さようなら」は別れの言葉(当たり前)、語源は江戸時代の武家ことば「左様なればしかじか」からだそうで…。それをそのまま友達と別れる時に使ってみませう。


ワタクシが「左様なれば…」と言うと、アナタさま『左様なれば~』…なんかおかしくないかい!?~というか、エンドレスでいつまでたっても帰れないかんじ。『左様なれば、ご機嫌よろしく』というように、「ごきげんよう」だけが独立していた訳ではないみたいです。この方が会話終了!スッキリ感がありますよね。


明治になり、デートの別れ際に、男性が女性に「さようなら」と言うと女性が「ごきけんよう」と返すようになったそうです。うん、なんかいいですね~♪


大正・昭和と、男性中心社会になるにつれて「さようなら」だけが一人歩きし、「ごきげんよう」 は置き去りにされてしまって、今はあまり使われないみたいです。お嬢さまが『ごきげんよう』と言うのがなんとなくわかって、トクした気分になりました。


そして『お疲れさま』とはやっぱり何かが違うということも←タイトルの意味はコレですよ。特定の個人と自分を比較しての意味ではありませんので、誤解なきよう( ̄▽ ̄;)





rohengram799 at 00:07コメント(12) 
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
月別アーカイブ