イースター
2024年03月31日
禊月雲便りNo.23:カナメとロビン
おはようございます🥸
昨日は急に暑くなり、今日も朝から気温が高い!
マンション中庭の桜も「あら、咲かなくちゃ!」と思ったのか華やいできました。しかし、なかなか身体がついていきませんね💦
🌸
今日はイースター🐥 毎年なんなんだろう?と思って検索してしまいます😅
https://skywardplus.jal.co.jp/plus_one/calendar/easter/
さて、タイトルにしたのは人名ではなく植物の名前の一部です。
ベニカナメモチとレッドロビン……レッドバロンと書きそうになりますが(笑)あの赤い垣根ですわ。
https://www.kateigaho.com/article/detail/159140
ビミョーな違いがあるのですね。私はベニカナメモチしか名前を知らなかったです。
https://niwa-iro.jimdofree.com/2012/10/24/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%81%E3%81%A8%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%B3/
今日で3月も終わり。なんだかいろんなことがあって天気と同じくらい目まぐるしく……今年も1/4が過ぎるわけですが、もう1年経ったような気持ちになります。
「お達者で」と声掛けしたりしますが、これにもいろんな意味があるようです。
https://tarikihongwan.net/category2/bukkyou/1746.html/
皆さま、来月もどうぞ『お達者で』🌷🌷🌷
またよろしくお願いいたします。
昨日は急に暑くなり、今日も朝から気温が高い!
マンション中庭の桜も「あら、咲かなくちゃ!」と思ったのか華やいできました。しかし、なかなか身体がついていきませんね💦
🌸
今日はイースター🐥 毎年なんなんだろう?と思って検索してしまいます😅
https://skywardplus.jal.co.jp/plus_one/calendar/easter/
さて、タイトルにしたのは人名ではなく植物の名前の一部です。
ベニカナメモチとレッドロビン……レッドバロンと書きそうになりますが(笑)あの赤い垣根ですわ。
https://www.kateigaho.com/article/detail/159140
ビミョーな違いがあるのですね。私はベニカナメモチしか名前を知らなかったです。
https://niwa-iro.jimdofree.com/2012/10/24/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%81%E3%81%A8%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%B3/
今日で3月も終わり。なんだかいろんなことがあって天気と同じくらい目まぐるしく……今年も1/4が過ぎるわけですが、もう1年経ったような気持ちになります。
「お達者で」と声掛けしたりしますが、これにもいろんな意味があるようです。
https://tarikihongwan.net/category2/bukkyou/1746.html/
皆さま、来月もどうぞ『お達者で』🌷🌷🌷
またよろしくお願いいたします。
2019年04月24日
春愁雲便りNo.23:砂糖菓子の男
日本ではあまり定着していないであろうイースター(゚~゚) それなのにスーパーでは「イースター」のシールが貼り付けられたタマゴを使ったお惣菜が目立っておりました。
https://osusume-idea.com/archives/2486
イースターバニーってあったよなぁ、と思ったのでウサギの俳句を少し。
「ももいろの欠伸をひとつ夜の兎」(石寒太)
「初絵馬の二兎の接吻したるかも」(後藤比奈夫)
「兎抱く心にかたちあるごとく」(武井清子)
「見返り兎」さんのいる神社
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/yypooh88/entry-12437988125.html%3Fusqp%3Dmq331AQPCAEoAZgBweb77omUjPBK
この前『砂糖菓子の男』という童話(?)の記事を読みました。表紙が哲学的というかダリの絵を連想するような…。内容も「ある国の王女がすりつぶしたアーモンドと砂糖と麦を1キロずつ混ぜ合わせ、40日と40夜祈りを奉げ、理想の男性を手作りしたのに、はるか遠くの女王に略奪され、王女は彼を探す旅に出る」という、なんだそれは(;゜∀゜)な展開! 「ちからたろう」という昔話も Σ(Д゚;/)/ でしたが(ジジババの垢から生まれた)読みたいですわ。
http://www.nishimurashoten.co.jp/book/archives/3217
http://cortneykotoko.jugem.jp/?eid=239#comments
こちらの表紙もかなりのインパクト(o゚Д゚ノ)ノ ナカミはイマイチのようです(((^^;)
あかずきんたろう >> https://i.bookmeter.com/books/11084949
週末までは雨とか。インフルエンザに流行っているようです。どうぞ皆さま、ご自愛下さいませ。
https://osusume-idea.com/archives/2486
イースターバニーってあったよなぁ、と思ったのでウサギの俳句を少し。
「ももいろの欠伸をひとつ夜の兎」(石寒太)
「初絵馬の二兎の接吻したるかも」(後藤比奈夫)
「兎抱く心にかたちあるごとく」(武井清子)
「見返り兎」さんのいる神社
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/yypooh88/entry-12437988125.html%3Fusqp%3Dmq331AQPCAEoAZgBweb77omUjPBK
この前『砂糖菓子の男』という童話(?)の記事を読みました。表紙が哲学的というかダリの絵を連想するような…。内容も「ある国の王女がすりつぶしたアーモンドと砂糖と麦を1キロずつ混ぜ合わせ、40日と40夜祈りを奉げ、理想の男性を手作りしたのに、はるか遠くの女王に略奪され、王女は彼を探す旅に出る」という、なんだそれは(;゜∀゜)な展開! 「ちからたろう」という昔話も Σ(Д゚;/)/ でしたが(ジジババの垢から生まれた)読みたいですわ。
http://www.nishimurashoten.co.jp/book/archives/3217
http://cortneykotoko.jugem.jp/?eid=239#comments
こちらの表紙もかなりのインパクト(o゚Д゚ノ)ノ ナカミはイマイチのようです(((^^;)
あかずきんたろう >> https://i.bookmeter.com/books/11084949
週末までは雨とか。インフルエンザに流行っているようです。どうぞ皆さま、ご自愛下さいませ。
2016年10月20日
徳雲便りNo.14:時代
テレビで「ハロウィンイベントの次に来る(新しいお祭りさわぎ)のはイースターではないか」と言っていましたが、本来の意味を全く知らないで騒ぎたいだけ!というのは、もうやめたらいいんじゃないかと思ってしまいます。鶏卵業者が「よっしゃー!タマゴ売りまくるで~!」とノリノリでイベント企画するなら、それはそれでスゴいな……と感心しますが。その後、別の番組でエッグタルトを見てダンナが「エッグ……タマゴか……中は、たまごやき?」とボソッとつぶやいていたので、ああ、だいぶお疲れなのね、と思いました(´;ω;`)
《慶長元年暮、こごえそうな寒風のなかを、ボロをまとい、みじめに垢じみて、一様に片方の耳をそぎ落された二十数人が、裸足のまま山陽道を引き立てられていった、長崎で磔に処されるために…。》
秀吉により、苛酷に弾圧された切支丹信者の悲劇を描いた『磔(はりつけ)』(吉村昭)を読んでいます。表題作の他「三色旗」「コロリ」「動く牙」「洋船建造」……史実を元にした作品ばかりで、今は蘭方医・沼野玄昌殺害事件を扱った「コロリ」まで読み終わりました。短編なのに、中身が濃い!いかに自分が歴史を知らないかを痛感しました。
《日本二十六聖人殉教地(西坂公園)》……長崎の観光ガイドには必ず出てくる場所ではないでしょうか、キリストが十字架に架けられたゴルタゴの丘に似ていることから、信者達がこの地を処刑の場に願い出たのだといわれているそうです。二十六聖人の殉教以降も多くの人々が“火あぶり”“水責め”“穴吊り”といったむごい手段でこの地で処刑されています。
戦後、原爆の破壊から立ち上がった長崎は殉教地であった小高い丘を公園にかえ、昭和31年に長崎県はこの丘を史跡に指定しました。26人の殉教者が列聖して100年目の昭和37年に、二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込(はめこみ)記念碑と記念館が建てられ、西坂公園ができました。また、昭和25年(1950)には、ローマ教皇・ピオ十二世がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めています。
以前、長崎の教会を巡る旅番組で、この公園を見た記憶があります。「二十六聖人」という言葉はなんとなく聞いたことがあるという程度で、はじめから長崎にいた隠れキリシタンだと思っていました。小説では、殉教者たちよりも命令に従わなくてはならない、長崎奉行代理の心境がメインに描かれています。
まだ海外や外国人についての知識などなく、神道や仏教以外のものを信仰するということが信じられない時代です。彼らが口にする聞きなれない祈りの言葉も、ただ不気味に感じられるだけで、理解するとかしないの次元にはいっていないのですよね。 また純粋に布教目的だけの宣教師もいたでしょうが、日本が外国に乗っ取られてしまうのでは、植民地化しようとしているのではないか、という動きもあり……見せしめのために長い道中を歩かせ、処刑ということになったのでしょう。
処刑後、夕暮れになり、信者たちが「死体の衣服をはぎとり、柱を小刀でけずりと」り「翌朝、死体は、ほとんど裸体同然となり、柱にも刀の跡がおびただしかった。」という状況になります。監視する者たちもいましたが、海方向にはあまり目を向けていなかったようで、小舟で崖下に接近し、崖を這い上がったのです。死体を布切れで被い、近づけないように柵などもたてましたが、そんなものは関係なく、また衣類を持ち去ったとありました。
殉教者のものを何か少しでも身に付けたい、欲しい、そうしたら自分も神さまに近づくことが出来る、というような考えからの行動なのかもしれませんが……なんかあんまりじゃないだろうかと……ボロボロの姿で磔にされ、亡くなった後も同じ信仰心を持つ人たちに身ぐるみ剥がされるなんて……。
亡くなった人を悼む気持ちはどこに……と考えてしまったのは、イエスの教えを知らないからでしょうか? 彼らは自分たちの一部でも与えることが出来てよかったと思っているのでしょうか? 強い揺るぎない信仰心というものが、ぶれぶれで生きている私にはないのでわからなくて……非常に難しいです。
淡々と綴られた文章なので、自分の中でそれぞれの立場からいろんなことを考えることが出来ますが、処刑を扱っていますし、そういう場面は読んでいてキツいかなぁ、やっぱり……自分には出来ない!ってすぐ思ってしまいます。
二十六聖人に関連する作品はたくさんあるようなので、また興味をひく、読みやすいものがあれば読んでみたいです。
《慶長元年暮、こごえそうな寒風のなかを、ボロをまとい、みじめに垢じみて、一様に片方の耳をそぎ落された二十数人が、裸足のまま山陽道を引き立てられていった、長崎で磔に処されるために…。》
秀吉により、苛酷に弾圧された切支丹信者の悲劇を描いた『磔(はりつけ)』(吉村昭)を読んでいます。表題作の他「三色旗」「コロリ」「動く牙」「洋船建造」……史実を元にした作品ばかりで、今は蘭方医・沼野玄昌殺害事件を扱った「コロリ」まで読み終わりました。短編なのに、中身が濃い!いかに自分が歴史を知らないかを痛感しました。
《日本二十六聖人殉教地(西坂公園)》……長崎の観光ガイドには必ず出てくる場所ではないでしょうか、キリストが十字架に架けられたゴルタゴの丘に似ていることから、信者達がこの地を処刑の場に願い出たのだといわれているそうです。二十六聖人の殉教以降も多くの人々が“火あぶり”“水責め”“穴吊り”といったむごい手段でこの地で処刑されています。
戦後、原爆の破壊から立ち上がった長崎は殉教地であった小高い丘を公園にかえ、昭和31年に長崎県はこの丘を史跡に指定しました。26人の殉教者が列聖して100年目の昭和37年に、二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込(はめこみ)記念碑と記念館が建てられ、西坂公園ができました。また、昭和25年(1950)には、ローマ教皇・ピオ十二世がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めています。
以前、長崎の教会を巡る旅番組で、この公園を見た記憶があります。「二十六聖人」という言葉はなんとなく聞いたことがあるという程度で、はじめから長崎にいた隠れキリシタンだと思っていました。小説では、殉教者たちよりも命令に従わなくてはならない、長崎奉行代理の心境がメインに描かれています。
まだ海外や外国人についての知識などなく、神道や仏教以外のものを信仰するということが信じられない時代です。彼らが口にする聞きなれない祈りの言葉も、ただ不気味に感じられるだけで、理解するとかしないの次元にはいっていないのですよね。 また純粋に布教目的だけの宣教師もいたでしょうが、日本が外国に乗っ取られてしまうのでは、植民地化しようとしているのではないか、という動きもあり……見せしめのために長い道中を歩かせ、処刑ということになったのでしょう。
処刑後、夕暮れになり、信者たちが「死体の衣服をはぎとり、柱を小刀でけずりと」り「翌朝、死体は、ほとんど裸体同然となり、柱にも刀の跡がおびただしかった。」という状況になります。監視する者たちもいましたが、海方向にはあまり目を向けていなかったようで、小舟で崖下に接近し、崖を這い上がったのです。死体を布切れで被い、近づけないように柵などもたてましたが、そんなものは関係なく、また衣類を持ち去ったとありました。
殉教者のものを何か少しでも身に付けたい、欲しい、そうしたら自分も神さまに近づくことが出来る、というような考えからの行動なのかもしれませんが……なんかあんまりじゃないだろうかと……ボロボロの姿で磔にされ、亡くなった後も同じ信仰心を持つ人たちに身ぐるみ剥がされるなんて……。
亡くなった人を悼む気持ちはどこに……と考えてしまったのは、イエスの教えを知らないからでしょうか? 彼らは自分たちの一部でも与えることが出来てよかったと思っているのでしょうか? 強い揺るぎない信仰心というものが、ぶれぶれで生きている私にはないのでわからなくて……非常に難しいです。
淡々と綴られた文章なので、自分の中でそれぞれの立場からいろんなことを考えることが出来ますが、処刑を扱っていますし、そういう場面は読んでいてキツいかなぁ、やっぱり……自分には出来ない!ってすぐ思ってしまいます。
二十六聖人に関連する作品はたくさんあるようなので、また興味をひく、読みやすいものがあれば読んでみたいです。