壊れかけのRadio

2013年06月24日

うろこ雲便りNo.14:壊れかけの…理解力

昨日はスーパームーンを眺めて帰宅するはずだったのに、仕事を終えて外に出たら雨……傘が必要なほどではなかったけれど、ちょっと残念でした。


今朝の新聞は東京都議選の結果が一面でしたが、石破タンの笑顔の写真がキモい…嬉しいのはわかるけど、昨日の三保の松原と富士山の写真との落差がありすぎる!!そして「沖縄慰霊の日」の扱いが小さい気がしました。


沖縄慰霊の日は「沖縄忌」として俳句の季語にもなっていますね。少し前に池田澄子さんの句を紹介しましたが、何年か前のインタビュー記事で「渡邊白泉という人の戦争の句が好き」というのを読みました。白泉は、終戦の日、横須賀海兵団にいたそうです。


『玉音を理解せし者前に出よ』


池田さんは小学生ぐらいの時に疎開先(新潟の村上市)で玉音放送を聞きました。「すっごい暑い日で普通に遊んで、お昼だから帰ってきたのよ。ごちゃごちゃ人がいて、なんだろうなあと思ったのね。天皇陛下が何かお話があるらしい。そのうち何か声が聞こえてきたんだけど、全然なんだかよくわからない。そうしたらおかしいのはね、大人たちも田舎だから空襲も別になかったし、あんまりぴんとわかってないんですよ。休戦になるって言ったのよ。ああそうか、休戦かって思ってね、じゃあまたいつ始まるのかなってその時思ったらあれ、終わったままだなって思ったんだけどね。」「テレビでその玉音をよくやるでしょ、敗戦記念日に。去年その放送があった時に、聞こえるのよ、ちゃんと。だからきっと、雑音をとったんでしょ。そうすると、俳句の方が歴史をちゃんと伝えると思った。」


沖縄忌とは直接関係ないのですが、この話を思い出しました。ドラマなんかでは陛下の言葉が難しくて、意味がよくわからないみたいな感じだけれど、実際にはそんなに明瞭に音声が聞こえていたわけではなく、雑音もかなりあったと思うのが時代的にも普通ですよね。そんな当たり前のこともすっかり抜け落ちていた私ってなんてバカなんだろう!って思いました。いくら時代考証をしていても、やはりドラマはツクリモノですね。そして、白泉の句に戸惑いや憤りみたいなものを感じました。その時代を生きた人たちがその時その時につくった句の重みというか真実味というか……。歌もそうですが、時代を反映しますよね。


ラジオということで、今日は徳永英明さんの『壊れかけのRadio』を懐かしく口ずさんでおりました。


♪華やいだ祭りの後 静まる街を背に
星を眺めていた けがれもないままに
遠ざかる 故郷の空 帰れない 人波に
本当の幸せ 教えてよ
壊れかけの Radio





rohengram799 at 23:35コメント(7) 
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