女学生
2021年08月05日
金涼雲便りNo.5:JK ふぁん
連日のオリンピック中継でテレビからのアナウンサーと解説者の話し声と絶叫が暑苦しさを倍増しているような気が……(;´∀`) ダンナさんはあのスノボストリートから解説者の「ゴン攻め」をサッカーの中山ゴンちゃん的なイケイケ状態だと思っていたそうです。全盛期のゴンちゃんを知らない世代ではないかと思うのだけれど。
そんなダンナさんはローカル局で放送されているアニメ『空手バカ一代』を見ています。連載開始50周年だそうで……ああ、絵柄が古い! そしてまだまだ戦争の影響が色濃く残っていて、渡米した主人公たちがひどい目にあっております。
【空手バカ一代 オープニング】
https://sp.uta-net.com/movie/195300/
剣道や柔道の専門誌は本屋さんで見た記憶はあるのだけれど、空手は記憶になかったので検索したところ、見つけた雑誌名が『JK Fan』…… Σ(゚∀゚) !
http://www.jkfan.jp/jp/
表紙を見れば空手の雑誌なのね!ってわかるけれど、タイトルだけだと女子高生マニアのイケナイ雑誌なのかと思ってしまう! ← そんなことを連想するのはお前だけじゃ!とお叱りを受けそう……スミマセン (_ _(--;(_ _(--;
昨日はワルトトイフェルの『女学生』(*)という曲を聴いたりしたので、 おやぢ発想になってしまったようです(;^_^A
https://youtu.be/WipQO4eIHPc
ワルトトイフェルはフランスのワルツ王と言われ『スケーターワルツ』も彼の作品だそうです。『女学生』も「聞いたことある!」クラシックでした。軽快なピアノの響きがいいですね (o’∀`)♪
こちらは太宰治の『女生徒』についての過去記事です φ(^Д^ )
http://rohengram799.livedoor.blog/archives/50772304.html
(*) 訳題「女学生」は、原題の"Estudiantina"(学生の楽隊の意)を、両性同形名詞"estudiante"(学生)の女性形と誤ったものと考えられる。(Wikipediaより)
皆さま、どうぞよい1日を ♪(o・ω・)ノ))
そんなダンナさんはローカル局で放送されているアニメ『空手バカ一代』を見ています。連載開始50周年だそうで……ああ、絵柄が古い! そしてまだまだ戦争の影響が色濃く残っていて、渡米した主人公たちがひどい目にあっております。
【空手バカ一代 オープニング】
https://sp.uta-net.com/movie/195300/
剣道や柔道の専門誌は本屋さんで見た記憶はあるのだけれど、空手は記憶になかったので検索したところ、見つけた雑誌名が『JK Fan』…… Σ(゚∀゚) !
http://www.jkfan.jp/jp/
表紙を見れば空手の雑誌なのね!ってわかるけれど、タイトルだけだと女子高生マニアのイケナイ雑誌なのかと思ってしまう! ← そんなことを連想するのはお前だけじゃ!とお叱りを受けそう……スミマセン (_ _(--;(_ _(--;
昨日はワルトトイフェルの『女学生』(*)という曲を聴いたりしたので、 おやぢ発想になってしまったようです(;^_^A
https://youtu.be/WipQO4eIHPc
ワルトトイフェルはフランスのワルツ王と言われ『スケーターワルツ』も彼の作品だそうです。『女学生』も「聞いたことある!」クラシックでした。軽快なピアノの響きがいいですね (o’∀`)♪
こちらは太宰治の『女生徒』についての過去記事です φ(^Д^ )
http://rohengram799.livedoor.blog/archives/50772304.html
(*) 訳題「女学生」は、原題の"Estudiantina"(学生の楽隊の意)を、両性同形名詞"estudiante"(学生)の女性形と誤ったものと考えられる。(Wikipediaより)
皆さま、どうぞよい1日を ♪(o・ω・)ノ))
2017年08月07日
竹春雲便りNo.7:アカシアの雨。・゜゜(ノД`)
♪アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい・・・
西田佐知子さんが歌っていましたね~『アカシアの雨がやむとき』って、わからない人の方が多いのかも(^o^;)
吉屋信子さんの『花物語』の下巻の最初が「アカシヤ」だったのですが、その内容がこの唄を思い出させたのですわ。
女学校の英語教師になった新庄さんと久しぶりに再会した主人公は、彼女が教師を辞めたと聞いて驚きます。その理由をきくと・・・受け持ちクラスに、大人になるまで対して物怖じしない子がいて、その子が怖い。反対に、美しい顔と姿の子にはときめき、完璧にエコヒイキするように。このキレイな子に対しての語りはこちらもちょっとひいてしまうくらいでしたわ。
「なにゆえとなくおのずと止まった歩みを、そのままにわたしはじいっと立ち止まって丘さんの机のそばに立ちました。机にいまさしむかって、なめらかな洋紙のうえに象牙のペン軸をにぎって走らせるそのこまやかに美しい指の主を見つめましたの――ふくよかな頬は、次からつぎへとつづり字をおもい出す努力にか、やや上気してうすあかく、なおさらにかわいらしいその顔を、紙の面ちかくむけて前へかがむと、うしろの襟足があらわに美しいほそい襟首に、純白のえりにかさなる濃紫の銘仙の背にすらっとお垂髪がふわりとけむるように流れおちるそのすえに、薄茶色の光沢のよいリボンが、ふくらんですっきりむすんで椅子の背にさわって、その下に海老茶の袴の腰に、絹のレースのもようが白く浮いて・・・もう、わたしすっかり見とれておもわず、うっとりして、書き取りの句を読みちがえたほど・・・」
オイオイ・・・女子高の男性教師かよ!とツッコミを入れたくなります!
無視されがちになったもう一人のを子はいたたまれなくなって、学校をやめて田舎に帰ることを告げに悪天候の中、先生のところに来るのですが、会いもしない。彼女らが語る一言一言がとてもせつないのです。大人のようにみえても、やっぱり心はまだまだ幼いです。綺麗なクラスメイトに彼女も憧れていました。だから先生を恨み、呪ってきたのだと。
「先生、どうぞおゆるしくださいまし、許してくださいませ。」なんて謝らなくてもいいのに~!
「私は先生のお憎しみを受けて、私の好きな丘さんは先生に愛されていらっしゃるこの両端に別れた悲しい差別は、私を今日までどんなに泣かせたことでしょう。」
彼女は田舎に変える前に、お詫びをしたかったのてす。イヤイヤ、あなたは悪くなってないでしょ、あからさまなエコヒイキをする教師の方がひどいでしょ!と思ったのですが、彼女は北海道の十勝平野へ帰ってしまいます。その一月後に教師は彼女のもとに行くのですが・・・母親から聞かされたのは「都は気が狂いました、ふびんな子でございます」との言葉。
母親に彼女に涙を流して詫びたとしても、輝かしい若い娘さんの毎日は閉ざされてしまったのです。虚ろな眸には何も映らない。尊敬すべき教師を呪うほどの嫉妬心が、自分でも恐ろしくいやになってしまった・・・このあたりはまさに乙女です。それに対して「ああ、もうアカシヤの花が咲く頃ーあの牧場のほとりへ私は我が罪のあがないにもう一度行きたい!」って・・・単なる自己満足でしょ、教師を辞めたって、あなたの罪は消えないでしょう、イヤな女だ(`Δ´)と思ってムカムカしましたわ。
♪夜が明ける 日がのぼる
朝の光のその中で
冷たくなったわたしを見つけて
あの人は
涙を流してくれるでしょうか・・・
壊れてしまった心のどこかに、大好きな同級生の姿があるのではないかなぁ・・・エコヒイキの教師は来なくてもいいのよ、想う人に来てほしいのよ・・・やっぱりこの歌がうかんでしまうワタクシなのでした。
西田佐知子さんが歌っていましたね~『アカシアの雨がやむとき』って、わからない人の方が多いのかも(^o^;)
吉屋信子さんの『花物語』の下巻の最初が「アカシヤ」だったのですが、その内容がこの唄を思い出させたのですわ。
女学校の英語教師になった新庄さんと久しぶりに再会した主人公は、彼女が教師を辞めたと聞いて驚きます。その理由をきくと・・・受け持ちクラスに、大人になるまで対して物怖じしない子がいて、その子が怖い。反対に、美しい顔と姿の子にはときめき、完璧にエコヒイキするように。このキレイな子に対しての語りはこちらもちょっとひいてしまうくらいでしたわ。
「なにゆえとなくおのずと止まった歩みを、そのままにわたしはじいっと立ち止まって丘さんの机のそばに立ちました。机にいまさしむかって、なめらかな洋紙のうえに象牙のペン軸をにぎって走らせるそのこまやかに美しい指の主を見つめましたの――ふくよかな頬は、次からつぎへとつづり字をおもい出す努力にか、やや上気してうすあかく、なおさらにかわいらしいその顔を、紙の面ちかくむけて前へかがむと、うしろの襟足があらわに美しいほそい襟首に、純白のえりにかさなる濃紫の銘仙の背にすらっとお垂髪がふわりとけむるように流れおちるそのすえに、薄茶色の光沢のよいリボンが、ふくらんですっきりむすんで椅子の背にさわって、その下に海老茶の袴の腰に、絹のレースのもようが白く浮いて・・・もう、わたしすっかり見とれておもわず、うっとりして、書き取りの句を読みちがえたほど・・・」
オイオイ・・・女子高の男性教師かよ!とツッコミを入れたくなります!
無視されがちになったもう一人のを子はいたたまれなくなって、学校をやめて田舎に帰ることを告げに悪天候の中、先生のところに来るのですが、会いもしない。彼女らが語る一言一言がとてもせつないのです。大人のようにみえても、やっぱり心はまだまだ幼いです。綺麗なクラスメイトに彼女も憧れていました。だから先生を恨み、呪ってきたのだと。
「先生、どうぞおゆるしくださいまし、許してくださいませ。」なんて謝らなくてもいいのに~!
「私は先生のお憎しみを受けて、私の好きな丘さんは先生に愛されていらっしゃるこの両端に別れた悲しい差別は、私を今日までどんなに泣かせたことでしょう。」
彼女は田舎に変える前に、お詫びをしたかったのてす。イヤイヤ、あなたは悪くなってないでしょ、あからさまなエコヒイキをする教師の方がひどいでしょ!と思ったのですが、彼女は北海道の十勝平野へ帰ってしまいます。その一月後に教師は彼女のもとに行くのですが・・・母親から聞かされたのは「都は気が狂いました、ふびんな子でございます」との言葉。
母親に彼女に涙を流して詫びたとしても、輝かしい若い娘さんの毎日は閉ざされてしまったのです。虚ろな眸には何も映らない。尊敬すべき教師を呪うほどの嫉妬心が、自分でも恐ろしくいやになってしまった・・・このあたりはまさに乙女です。それに対して「ああ、もうアカシヤの花が咲く頃ーあの牧場のほとりへ私は我が罪のあがないにもう一度行きたい!」って・・・単なる自己満足でしょ、教師を辞めたって、あなたの罪は消えないでしょう、イヤな女だ(`Δ´)と思ってムカムカしましたわ。
♪夜が明ける 日がのぼる
朝の光のその中で
冷たくなったわたしを見つけて
あの人は
涙を流してくれるでしょうか・・・
壊れてしまった心のどこかに、大好きな同級生の姿があるのではないかなぁ・・・エコヒイキの教師は来なくてもいいのよ、想う人に来てほしいのよ・・・やっぱりこの歌がうかんでしまうワタクシなのでした。
2017年07月25日
蘭月雲便りNo.11:涙そうそう~花物語
ずいぶん前に買った吉屋信子さんの『花物語』、読み始めるまでも時間がかかりましたが、ようやく上巻を読み終わりました。「女学生のバイブル」と呼ばれベストセラーになった、短編集です。どの話のタイトルも植物にちなんでいます。
「釣鐘草」は両親が亡くなり、幼い弟と親戚の家にあずけられた姉の手紙形式の作品なのですが、姉弟が寄り添いながら、お互いをいたわりあって暮らす姿がなんともかなしく・・・かわいく健気な弟を流行り病で亡くすことになった姉の悲嘆と決意。
「けれども、思えば不幸の中にも丈のびて育てられ、弟逝きし後に一人残る悲しい自分にも、やはりこの世に努むべき使命が与えられているのだと思いました。親身の弟を失った私は、この上は広い世の中の子供たちを弟として、心から愛して教えてゆきたい、その職に身も魂も捧げて一生を清く送りたい、ただその一つの希望が私の心を励ます光であり力でございました。」そして続く「弟は形として世になくとも常に不滅の幻影となって私の心を鞭打ち励ましてくれるのでございます。」に「涙そうそう」の♪いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ・・・を思い出しました ρ(・・、)
今日は三浦しをんさんの『政と源(まさとげん)』を詠んだのですが、元銀行員の国政とつまみ簪職人の源二郎は幼なじみで年齢は73歳。水路のある下町で正反対の性格ながらパワフルに暮らしています。が、やはり死について考えたりするもので・・・。
「死んだ人間が行くのは死後の世界なんかじゃなく、親しいひとの記憶のなかじゃないかってことだ。親父もおふくろもきょうだいも師匠もかみさんも、みんな俺のなかに入ってきた。たとえばおまえがさきに死んでも、俺が死ぬまで、おまえは俺の記憶の中にいるだろう」
源さんのいい台詞に「その説でいくと、ボケないように願わないとな」と返す政。まだ彼らの年齢には届かないワタクシですが、ウンウンと老化現象のあれこれにうなづきながら(笑)サクサク読んでしまいました!
肉体はなくなってものこるもの、のこせるものはたくさんあるんですよねぇ・・・。
来週はもう8月、ますます暑くなりそう~皆さまもお身体に気をつけて下さいませ♪(o・ω・)ノ))
「釣鐘草」は両親が亡くなり、幼い弟と親戚の家にあずけられた姉の手紙形式の作品なのですが、姉弟が寄り添いながら、お互いをいたわりあって暮らす姿がなんともかなしく・・・かわいく健気な弟を流行り病で亡くすことになった姉の悲嘆と決意。
「けれども、思えば不幸の中にも丈のびて育てられ、弟逝きし後に一人残る悲しい自分にも、やはりこの世に努むべき使命が与えられているのだと思いました。親身の弟を失った私は、この上は広い世の中の子供たちを弟として、心から愛して教えてゆきたい、その職に身も魂も捧げて一生を清く送りたい、ただその一つの希望が私の心を励ます光であり力でございました。」そして続く「弟は形として世になくとも常に不滅の幻影となって私の心を鞭打ち励ましてくれるのでございます。」に「涙そうそう」の♪いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ・・・を思い出しました ρ(・・、)
今日は三浦しをんさんの『政と源(まさとげん)』を詠んだのですが、元銀行員の国政とつまみ簪職人の源二郎は幼なじみで年齢は73歳。水路のある下町で正反対の性格ながらパワフルに暮らしています。が、やはり死について考えたりするもので・・・。
「死んだ人間が行くのは死後の世界なんかじゃなく、親しいひとの記憶のなかじゃないかってことだ。親父もおふくろもきょうだいも師匠もかみさんも、みんな俺のなかに入ってきた。たとえばおまえがさきに死んでも、俺が死ぬまで、おまえは俺の記憶の中にいるだろう」
源さんのいい台詞に「その説でいくと、ボケないように願わないとな」と返す政。まだ彼らの年齢には届かないワタクシですが、ウンウンと老化現象のあれこれにうなづきながら(笑)サクサク読んでしまいました!
肉体はなくなってものこるもの、のこせるものはたくさんあるんですよねぇ・・・。
来週はもう8月、ますます暑くなりそう~皆さまもお身体に気をつけて下さいませ♪(o・ω・)ノ))