寄席芸人伝

2021年06月14日

清遊雲便りNo.8:ろせん

今『雪に咲く』という越後高田を舞台にした時代小説を読んでいます。

『雪の殿様』や『六花落々』のような雪の研究関連の話だと思って買った記憶があるのですが、違った……お家騒動の話だった……名前も人間関係もなかなか頭に入ってこない(-_-;) 歴史を知らないのもありますが、ページ数のわりにいろいろ詰め込み過ぎな感じがします。

雪に咲く (PHP文芸文庫) >> https://bookmeter.com/books/12562147


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ページ数のわりに値段が高い!と思ったけれど(『ずっとあなたが好きだった』はあの厚さで1000円しないのに、400Pほどのこちらは1200円! KADOKAWAは高い!)買ってしまった『俳魁』(表紙が好き)、こちらは句会の様子などわかってよかったです。あらすじから謎解きがメインかと思っていたけれど、よい句を詠むからといって人間性が素晴らしいわけではないし、人間の厭らしさや浅ましさがじわりじわり来るような作品でした。読後感が良いとは言えないけれど、高い値段も許そう!となりました(笑)
あと東日本大震災時の東京の様子に、ずいぶん記憶が薄れてしまったなと反省しました。

有名な俳句もありましたが、主人公らが詠んだ句もたくさんありました。誰かにお願いしたのかな?と思っていたのですが、作者は「長谷川かな女の孫」だと解説にあり、ああ、じゃあ全部自作なんだろうなぁ、と。こちらのブログにかな女と作者の話などがありました。

https://gamp.ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12562531783.html


【俳塊】
https://www.kadokawa.co.jp/product/321604000143/


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『俳魁』で「ろせん」という俳人の名前が出てきました。「こんな俳号でいいのか!?」と思ったワタクシ、たしか「ろせん」ってアレでは……と『寄席芸人伝』(*)で読んだ記憶を確認するために『符牒の語源』(三代目 三遊亭金馬)を読んだのでした……おほほ(^o^;)

https://www.aozora.gr.jp/cards/001805/files/56766_55509.html


ちなみに「ろせん」とはこういう方でした。よかった Σヽ(゚∀゚;)


ないとう‐ろせん【内藤露沾】
江戸前期の俳人。江戸の人。陸奥国(福島県)磐城平藩の藩主内藤左京大夫義泰(俳号風虎)の二男。名は義英、のち政栄。別号傍池亭、遊園堂。宗因門。門下に沾徳、沾涼、露言など。著に「露沾俳諧集」がある。明暦元~享保一八年(一六五五‐一七三三)


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土曜日の読売新聞・地域版に松戸出身の春風亭昇々さんの真打ち昇進が大きく取り上げられていました。生まれは相模原市で3歳の時に松戸に移り住んだそうです。創作落語に力を入れているようで……コロナの影響でいろいろ大変ですが、頑張っていただきたいです。

http://www.geikyo.com/lite/profile/profile_detail.php?id=27



(*)https://csbs.shogakukan.co.jp/book?book_group_id=12371




rohengram799 at 09:55コメント(0) 

2018年03月19日

桃月雲便りNo.23:ぞろぞろ

積ん読本の整理をしていたら、古谷三敏さんの『寄席芸人伝』の6巻がまぎれていました。全部片付けてしまったと思っていたので、なんか懐かしい。 ニュースで襲名問題が取り上げられていたけれど(下記サイトを読んで、わかったような、わからないような)、マンガに出てきた「一芸名(ひとつな)とん平」の話がやっぱり好きだなぁ、と思ったワタクシです。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54819




さてさて、今では小学校の教科書に落語が載っているんですね。落語絵本は何冊か見たことがありますが、教科書に、というのは知らなかったです。小4の国語の教科書に採用されたという『ぞろぞろ』私は好きです(^ω^)


【参詣客がまばらな稲荷神社の門前。茶店を営む老夫婦の生活は苦しく、店主の老爺は妻の老婆に「売り上げがないため、仕入れもままならず、商品はわずかな駄菓子と、天井に吊るしたまま長く売れ残ったワラジ1足だけだ」と不満をぶちまける。老婆が「なにごとも信心だから、お稲荷様にお参りに行ってはどうですか」とすすめるので、店主は言うとおりに神社へ行き、茶店の繁盛を懸命に祈った。】



そして、えっ(;・∀・)と思いがけないことが起こり、ウチもあやかりたいと思った床屋さんにもも・・・意地悪じいさん的なオチではなくて、あちゃー(´・∀・`)な結果が。 噺家さんはひとりで何役もこなしますが、子どもたちがそれぞれの役を演じたら、また面白いかも、と思いました。


http://ensou-dakudaku.net/kyoka/zoro.html




rohengram799 at 16:30コメント(6) 

2016年06月12日

閑雲便りNo.17:百年経っても笑えない話

♪禁じられても 逢いたいの~ は懐メロになってしまいますが、閑雲便りNo.12:戦地の図書館に猫ムスメ様からこんなコメントをいただきました。


戦時中、落語にも【禁演落語】がありました。主に廓話や泥棒モノが国によって禁じられ、浅草の「はなし塚」に封じられたそうです。 逆に【国策落語】もあり、これは完全に新作。出征や特攻を讃えた内容で、全く笑える代物ではなかったそうです。


私は古谷三敏さんのマンガ『寄席芸人伝』を読んでいたのですが「禁演落語」と「はなし塚」については描いてあった!とはっきり記憶しているのですが「国策落語」は全くなくて……もしかしたらその話も描いてあったのに自分が忘れているのかもしれません。手元になくなってからだいぶ経つので確認も出来ず、残念ですが『はなし家たちの戦争 禁演落語と国策落語』(柏木新)という本が出版されているのですね。



当時のスローガン《産めよ殖やせよ》をテーマにつくられた『子宝部隊長』という落語があったそうで、これがまたひどい……!!

「何が無理だ。産めよ殖やせよ、子宝部隊長だ。国策線に順応して、人的資源を確保する。それが吾れ吾れの急務だ。兵隊さんになる男の子を、一日でも早く生むことが、お国の為につくす一つの仕事だとしたら、子供を産まない女なんか、意義がないぞ。お前がどうしても男の子を産まないんなら、国策に違反するスパイ行動として、憲兵へ訴えるぞ」
 


落語家林家三平さんが3月1日に、祖父の故・七代目林家正蔵さんが創作した落語《出征祝》を台東区のホールで約70年ぶりに口演したそうですね。全然知らなかった……。 「出征祝」を知ったのは昨年夏ごろ。家族の歴史をたどるテレビ番組に出演した際、スタッフが集めた資料の中に台本があったそうです。「台本に目を通して、はっとした。おじいちゃんの言葉じゃない…。検閲を受けて直されて。それでも祖父は、生きていくためにやらざるを得なかったんですよね」……父親で「昭和の爆笑王」と呼ばれた初代林家三平は特攻隊要員だったそうです。戦争末期は米軍の上陸に備え千葉県の海岸にいて、火薬を付けた竹やりで戦車を突いて自爆する役目だった、と。母の海老名香葉子さんは東京大空襲のことを語り継いでいます。



《出征祝》ですが、店の若旦那に召集令状が届き、大旦那や番頭が歓送会の準備をするという内容。


「めでたいね、皇紀2600年とせがれの出征が重なった。店の者全部の名で国防献金をしよう」などと言い始めた大旦那。「なんでも好きなものを食ってくれ」と店の者に言うと、それぞれ口々に食べたいものを挙げ始めます。
「(ビフ)テキが食べたい」
「テキはいけないね、ぜいたくはテキだからね」
「じゃあ、トンカツはいかがでしょう」
「いいだろう。テキにカツだから」
「お酒も呑んでかまいませんか」
「いいとも、ちゃんと一升で二本買ってある」
「縁起がいいや」


日本で一勝、というオチらしいのですが……これはいくら噺のうまい師匠が演じても、笑えないし、仮におやじギャグ的なものにクスッとなったとしても、笑っていいのか困りますよね……。当時、この噺を聴いた人はどのくらいいたのでしょう。そしてどんな気分になったのか……。



『寄席芸人伝』について、どんなものかを知りたい方は寄席芸人伝についてや下記の記事をお読み下さい。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/6209/1999.10.24.htm






rohengram799 at 12:53コメント(10) 
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