小野寺苓

2015年10月21日

暁雲便りNo.10:赤い熨斗袋

おはようございます。昨日から『女の名前』というエッセイ集を読んでいます。紫の着物姿の女性に桔梗の表紙が美しくて買っておいた本です(笑)

作者は小野寺苓(おのでら・れい)さん。もともとは1996年に1000部を自費出版したものだそう。それが数年前に直木賞作家の桜木紫乃さんの手に渡り、桜木さんが、トークイベントなどで紹介していたことが縁で文庫化されることに(桜木さんが解説です)。内容は両親にまつわる思い出や、自らの先祖のこと、日々の出来事、詩や小説を書いていたので作家、芸術家、文化人(でいいのかな)との交流も多彩。自費出版っていいと自己主張が激しいイメージがありましたが、そんなことはなくて……むやみに女性はエライ!と綴られているわけでないし、東北の自然や都会の様子など戦中・戦後のかわっていく様など、しなやかでたくましさもある文筆力に感嘆しながらサクサクと読みすすめています。


編集者からこの本を紹介されたという桜木さんは「言葉の切り口と使い場所を間違えていない。こういう人たちが自分の本を手にとっているかもしれないとと思うと、書くことをおろそかにできないという気持ちになる」と言っていたそうです。
 


最初が『死んだ日に赤い熨斗袋』という話で、私は故人に恨みがある誰かが嫌がらせて弔問にやってきたのかしら、と思っていたのですが……全く違いました。亡くなったのは産婆さんだった作者の継母。まだまだ病院でお産など少数派な時代(貧富の差も地域差もあったと思う)、20数年前に息子を取り上げてもらったが貧しさから礼金が払えなかったという父親。しかし「母は厭(いや)な顔ひとつせずに無償で産湯を使いに通ったという。」


父親は息子の結婚が決まり、そうだ、あの時は余裕がなくてお金も何も払わないままだった!やっと一人前になったお礼と息子の姿を見せたくて……と父子がやってきた日がちょうどその日だったのです。感謝の気持ちを伝えに来てくれた日がお別れの日になってしまった……親子は驚いていましたが、熨斗袋を押し合いの末、作者の父に受け取ってもらい、継母に手をあわせて帰られたそうです。もう~自分の発想の卑しさが……うう、本当に恥ずかしいです……!



……私たちは母の無言の姿から生前の善行を知り、母への尊敬の念を強くしたのである。母の死んだ日の第一番の訪問客が、赤い熨斗袋を置いていったことは不自然なことではなかった。少なくとも、私たちはそう思った。
母は継子五人と父との間に生まれた自分の子二人を平等に育て終えた。産婆の仕事をした母にしてみれば、この世に生まれた生は等しく平等なのである。
喧騒(けんそう)な今の世は、ボランティアをたたえ、なかには自ら善行を誇示したい者もいる。善(よ)いおこないは静かにするがいい。美しい行為は、けっして光をあてられ褒めそやされることを期待してはいまい。
母の死の朝の出来事は、どんなに多くの言葉よりも確実な教えを伝えてくれたのである。……



私の両親と同世代の小野さん。私は両親の若い頃の話とか全くといいほどきいたことがなくて(あんまり話したくなさそうな感じもあったので)……たとえば戦時中とか特別な出来事でなくても、両親の祖父母のこととか、子ども時代のこととか、いろいろきいておけばよかったなぁ。



『善(よ)いおこないは静かにするがいい。』……「左手に告げるなかれ」に通じるものがあるわ~と思ったワタクシです。



どうぞ皆さま、よい1日を(´ー`)ノ





rohengram799 at 06:30コメント(10) 
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