年賀状
2011年08月19日
第560号:おばちゃん晩夏
♪あれがあなたの好きな場所~港が見下ろせるこだかい公園…
お盆すぎたらなんとなく晩夏というより『秋の気配』……口ずさむのはやはりオフコースですね~そして歌詞にある公園は横浜でしょうか(笑)
私、横浜に行ったことがないと前に書きましたが…OL時代お使いで何回か行ったことを思い出しました!!港湾局とか~いやぁ、年はとりたくないですね(--;)
今日は雷ゴロゴロ~休みなのでお出かけしたかったのに家でゴロゴロ…読書熱が平熱になってきたので(笑)創作活動でもしようかしら…φ(..)
この時期の創作活動は「残暑見舞い」を書くことかしら…などと思うのですが、最近は手紙を書く機会も減りました。
書く以上は手書きじゃないとイヤだし、きれいでステキなハガキを使いたい…なんて思っていると選ぶだけで時間がかかり年賀状の季節に突入してしまうという(´д`)
年賀状と言えば、兄の友人は宛名をコテコテに多色化したため配達できませんと返送されたそうで…改めて封書で年賀状をくれました!!律儀な同級生(笑)
ハガキって読んで欲しい人の目にふれる前に郵便屋さんや同居人に読まれる可能性があるので、あまりアホなことは書けない~かなりの技量が必要ですよね。ブログは下書きして訂正もできるけど、ハガキは一発勝負的なところもあるし。
そういえば、昔むかし…自分宛に手紙を投函したことがありました。自分で自分を励ましていたあの頃は『おとめ』でありました!!
お盆すぎたらなんとなく晩夏というより『秋の気配』……口ずさむのはやはりオフコースですね~そして歌詞にある公園は横浜でしょうか(笑)
私、横浜に行ったことがないと前に書きましたが…OL時代お使いで何回か行ったことを思い出しました!!港湾局とか~いやぁ、年はとりたくないですね(--;)
今日は雷ゴロゴロ~休みなのでお出かけしたかったのに家でゴロゴロ…読書熱が平熱になってきたので(笑)創作活動でもしようかしら…φ(..)
この時期の創作活動は「残暑見舞い」を書くことかしら…などと思うのですが、最近は手紙を書く機会も減りました。
書く以上は手書きじゃないとイヤだし、きれいでステキなハガキを使いたい…なんて思っていると選ぶだけで時間がかかり年賀状の季節に突入してしまうという(´д`)
年賀状と言えば、兄の友人は宛名をコテコテに多色化したため配達できませんと返送されたそうで…改めて封書で年賀状をくれました!!律儀な同級生(笑)
ハガキって読んで欲しい人の目にふれる前に郵便屋さんや同居人に読まれる可能性があるので、あまりアホなことは書けない~かなりの技量が必要ですよね。ブログは下書きして訂正もできるけど、ハガキは一発勝負的なところもあるし。
そういえば、昔むかし…自分宛に手紙を投函したことがありました。自分で自分を励ましていたあの頃は『おとめ』でありました!!
rohengram799 at 11:39|Permalink│Comments(20)
2010年12月28日
第370号:友からの、そして友への「手紙」
皆さま、すでに年賀状は投函されていると思いますが…私は……いろいろな事が、年々ルーズになってきている私…絶対血液型占いはハズレだろ!?と思うA型です(ノ*0*)ノ
この前の新聞に、学生時代の旧友5人の喪中ハガキが届き、遠方の友人に電話をかけた…という投書がありました。
毎年、手紙のやり取りはしていたけれど、電話は5年ぶり…懐かしい声、元気な声を期待していたら、電話には奥様が。しばらく話をした後、おもいもよらぬ言葉が耳に届きます。
「実は夫は3年前に他界しました」
そんな…あれは…じゃあ毎年届いていたあの手紙は…一体…?
それは、奥様がパソコンでダンナ様のかわりに書いていた手紙でした。年齢も80歳近いのですから、自筆から印字になったとしても、それほど違和感はなかったのでしょう。
何より奥様の「悲報を知らせれば、学生時代からの心のつながりが途絶えてしまう」という強い想いが文面に込められていたに違いありません。
奥様はいつも届いていた郵便物や、ダンナ様あての荷物などが少なくなったことでも寂しさを実感し、同時にダンナ様自身がまわりの関わりのあった方々の記憶から消えてしまうこともこわかったのでしょう。
肉体の死と忘れ去られる二度目の死、ダンナ様をそんなかなしい状況におきたくはなかったでしょうし、お友達の心も大切にしたかったんだろうなぁ…と思いました。
「自分をだましていたのか」「自分はバカにされた」などと思うことなく、奥様のいたわりに感謝して、投書されたご友人もまた素晴らしい方だと思いました。
この方の一文により、たくさんの人々の中に「お友だち」は存在するのですから。
皆さまの記憶の中で生きる愛しい方々のご冥福をお祈りします。不快な表現があったらごめんなさい。
この前の新聞に、学生時代の旧友5人の喪中ハガキが届き、遠方の友人に電話をかけた…という投書がありました。
毎年、手紙のやり取りはしていたけれど、電話は5年ぶり…懐かしい声、元気な声を期待していたら、電話には奥様が。しばらく話をした後、おもいもよらぬ言葉が耳に届きます。
「実は夫は3年前に他界しました」
そんな…あれは…じゃあ毎年届いていたあの手紙は…一体…?
それは、奥様がパソコンでダンナ様のかわりに書いていた手紙でした。年齢も80歳近いのですから、自筆から印字になったとしても、それほど違和感はなかったのでしょう。
何より奥様の「悲報を知らせれば、学生時代からの心のつながりが途絶えてしまう」という強い想いが文面に込められていたに違いありません。
奥様はいつも届いていた郵便物や、ダンナ様あての荷物などが少なくなったことでも寂しさを実感し、同時にダンナ様自身がまわりの関わりのあった方々の記憶から消えてしまうこともこわかったのでしょう。
肉体の死と忘れ去られる二度目の死、ダンナ様をそんなかなしい状況におきたくはなかったでしょうし、お友達の心も大切にしたかったんだろうなぁ…と思いました。
「自分をだましていたのか」「自分はバカにされた」などと思うことなく、奥様のいたわりに感謝して、投書されたご友人もまた素晴らしい方だと思いました。
この方の一文により、たくさんの人々の中に「お友だち」は存在するのですから。
皆さまの記憶の中で生きる愛しい方々のご冥福をお祈りします。不快な表現があったらごめんなさい。
rohengram799 at 00:03|Permalink│Comments(11)