久しぶりに週刊文春を買ったら閑雲便りNo.29:まめまめしくツルリンとに書いた『国際まめ年』の広告記事がありました。はじめて見たけど、普段買わない、見ない雑誌には載っていたのかも。また閑雲便りNo.12:戦地の図書館も新聞や雑誌の書評コーナーで紹介されていました。評者は『オーブランの少女』の深緑野分さん。←この作品の感想は香雲便りNo.22:片想いをどうぞ。


《本の力は確かに即効性はないかもしれないが、ある意味では武力以上に強い。たとえ火刑に処そうとも、自由な思想はそのたびに灰から蘇るからだ。多種多様な読書は人間性を高め、豊かな知力を育み、ひいては未来を築く力になる。本書は混迷の時代に示唆を与える、優れた作品だ。》

どんな時でも本は必要とされていたのだと、たくさんの人が興味を持ってくれたらいいなと思いました。



また『わたしの読書日記』というリレーエッセイが歌人の穂村弘さんだったのですが(写真を見たらイメージしていた顔と違った!)……『翻訳できない世界のことば』には、日本語からも幾つか採用されている。……とあって、マヌケにも、えっ(゜д゜)となってしまいました。日本語が一番翻訳出来ない言葉だとしても納得してしまうくらい、綺麗で摩訶不思議な言葉をたくさん読んできたはずなのに(ーー;)



KOMOREBI(コモレビ):木々の葉のすきまから射す日の光。

ヨーロッパ絵画では街路樹に綺麗な日が射している構図が多い気がしたので、木洩れ日にあたる言葉がないのかしらん?と不思議になります。感じ方が違うのかしら?


BOKETTO(ボケット):なにも特別なことを考えず、ぼんやりと遠くを見ている時の気持ち。

最初「ポケット?」と思ってしまいました(笑) これも意外……まぁ私はいつも違う宇宙をさ迷っているので、日常過ぎて特別に思わないのかも。

WABH-SABI:生と死の自然のサイクルを受け入れ、不完全さの中にある美を見出だすこと。

そうか、そうだったのか……と解説を読んで誰かに訊かれたら説明出来るな!と思いました~! でもなんかこう微妙に違うんだよなぁ……みたいなものがあります。なんだろ、感覚的に身についた言葉の“なにか”があるんでしょうか?



『新松子言の葉ひとつひとつ置く』(宇野恭子)

この句の季語に使われている「新松子」……しんまつこ? 「新松戸(しんまつど)」なら知っているけど、地名は季語にならんだろ!とひとりツッコミを入れながら、検索しました。


新松子は「しんちぢり」と読みます。秋の季語で青い、今年出来たばかりの松かさのこと。「新しい松の子」でした。う~ん、俳句に興味がなければ一生知らない言葉のひとつに違いない(◎-◎;)




今日はフランスの革命記念日、パリ祭なので、『ベルばら』の話とか書くつもりでいましたが、予定変更、明日に持ち越したいと思います……ってまた違ったりして(^o^;)