新語・流行語大賞
2024年11月05日
深冷雲便りNo.4:田んぼ と 遺言
こんにちは😃
今日の読売新聞・編集手帳に
日本では昔、使い道に応じて田んぼに名前がつけられていた。本尊にささげるコメをつくった「仏供田(ぶくでん)」や祭りの費用をまかなった「神楽田」
は今も地名に残る
とあり、そういえば天皇陛下のご予定に
皇居・賢所参集所(令和6年度新嘗祭(にいなめさい)献穀者との面会)
があったなと。献穀者かぁ〜建国者にも通じるような。民が飢えてはいけません。民がいてこその国!なんてことを考えたりする😅
名古屋市中川区富田町千音寺仏供田という地名もありました。スゴいご利益があるような信心深くなるような😆
こちらも田んぼつながりで🌾
https://kameyamarekihaku.jp/sisi/MinzokuHP/jirei/bunrui4/data4-1/index4_1_1_1.htm
🍄
今日は「いい遺言の日」だそうで……「遺言」がタイトルに入った本を何冊読んだっけ?と過去記事を検索していました。新津きよみさんの『彼女の遺言』を読んだ時に楳図かずおさんのことを書いていたのを懐かしく読み返していたら、楳図さんの訃報が😰
https://rohengram799.livedoor.blog/archives/50745541.html
https://www.yomiuri.co.jp/culture/subcul/20241105-OYT1T50066/?from=yhd&ref=yahoo
残念です🥲🥲🥲
🍄
新語・流行語大賞ノミネート一覧を見ましたが、知らないのもあるし、どれもそんなに流行った?と思ってしまいました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241105/k10014629251000.html
自分の中の流行語大賞を考えてみると1年を振り返るきっかけになるのかしらん?
ではでは👋👋👋
今日の読売新聞・編集手帳に
日本では昔、使い道に応じて田んぼに名前がつけられていた。本尊にささげるコメをつくった「仏供田(ぶくでん)」や祭りの費用をまかなった「神楽田」
は今も地名に残る
とあり、そういえば天皇陛下のご予定に
皇居・賢所参集所(令和6年度新嘗祭(にいなめさい)献穀者との面会)
があったなと。献穀者かぁ〜建国者にも通じるような。民が飢えてはいけません。民がいてこその国!なんてことを考えたりする😅
名古屋市中川区富田町千音寺仏供田という地名もありました。スゴいご利益があるような信心深くなるような😆
こちらも田んぼつながりで🌾
https://kameyamarekihaku.jp/sisi/MinzokuHP/jirei/bunrui4/data4-1/index4_1_1_1.htm
🍄
今日は「いい遺言の日」だそうで……「遺言」がタイトルに入った本を何冊読んだっけ?と過去記事を検索していました。新津きよみさんの『彼女の遺言』を読んだ時に楳図かずおさんのことを書いていたのを懐かしく読み返していたら、楳図さんの訃報が😰
https://rohengram799.livedoor.blog/archives/50745541.html
https://www.yomiuri.co.jp/culture/subcul/20241105-OYT1T50066/?from=yhd&ref=yahoo
残念です🥲🥲🥲
🍄
新語・流行語大賞ノミネート一覧を見ましたが、知らないのもあるし、どれもそんなに流行った?と思ってしまいました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241105/k10014629251000.html
自分の中の流行語大賞を考えてみると1年を振り返るきっかけになるのかしらん?
ではでは👋👋👋
rohengram799 at 14:20|Permalink│Comments(4)
2017年11月10日
霜見雲便りNo.9:山眠る
立冬も過ぎました。公園の木々も黄葉・紅葉、足元には落ち葉がカサカサ、お肌はカサカサ、ノドはイガイガの季節になりました。
タイトルにした「山眠る」は冬の季語です。セクシーな壇蜜さまのブログに
・・・木の上の雪が「ドササササーー!!」と落ちる音はあんなに賑やかで大きいのに…。あれは眠った山の「寝言」かもしれません。たまに人間でもいますよね。寝言がハッキリシッカリしずぎている人。
…あれ、私かな。・・・
とあって、こういう発想って楽しい~!と思いました。考えたことがなかったので。
季語を調べるには歳時記が便利ですが、今はスマホですぐ検索出来ますよね。この前、広辞苑の話をチラリと書きましたが、国語辞典とか私はどこにやってしまったかしら?と、吉川英治さんの『辞典のすすめ』を読んで思いました。青空文庫で読めますが、とても短いので転載しますね。
とかく、現代人はまだ、辞書辞典などを、ほんとに、自分の頭脳にしきっていない。そのくせ、現今ほど、辞典の良書が、ぼくらの書架に、その選択の自由を豊かにされている時代もないのだが、なお遅れているのは、よくその辞典を使い生かす、こちらの頭の方にあるとおもう。
ひとつの理由は、その習慣づけが足りないのである。すぐ辞典を引く、またすぐ、辞書に問うてみるという日常の習性が日本人にはいたってすくない。ばかなはなしである。自分の書架に、ちゃんと、いつでも何でも訊いてくれといわんばかりに輝かがやいている良師良友の辞典を措き忘れて、わからぬ事を、わからぬままに、よそへ向って、うろうろしている愚を、よく自分に見出すことがありはしないか。いやひとごとではない。私たちのような書斎人といわれる者すら、ままそんな非文化的な徒労をやって、あとから辞典に見いだして、ひと知れずよく苦笑する。自嘲をおぼえる。
一冊の良い辞典を備えれば、数十冊のいや数百冊の雑書も不要になるかとさえ思われる。それほど辞典のエキスは濃密なのだ。私などは独学をやってきたので、ひと頃の青年期には、良い辞書も少なかったし、また容易に買えなかった。そこでたまたま、古本の辞典でも手に入れると、辞典の初めの、ア行やイ行から、辞典を読んでしまったりしたものだった。――今は良い辞典がありすぎるのか。学生諸子のそれの引用度を見ていると、いかにも、せっかくな恩恵を充分に生かしていない。もったいない。惜しまれる。辞典は自己の脳細胞そのものの一部であることを、うっかりしている。この大切な鍵を持ち忘れていたんでは、自分の天分の扉ドアを開くこともむりである。
(昭和三十五年)
ブログを書きはじめた頃は、国語辞典やら漢和辞典など手元においていたのに、今はどこにあるのかわからない~! 辞典・事典・辞書などのビミョーな違いについてはコチラをどうぞ。こういう時はやっぱりネットって便利と思います(笑)
http://www.ohtabooks.com/qjkettle/news/2015/02/16101614.html
辞典→自転→空回りと連想が広がり、まだまだ四畳半フォークの匂いがかすかにあった長渕剛さんの『順子』や『巡恋歌』が浮かんできましたわ。順子を真子に置き換えて歌ったこともありましたっけ。(そういえば、眞子さまの正式婚約発表はいつになるんでしょう?) 石野真子ちゃんとの結婚も志保美悦子さんとの再婚もビックリだったなぁ( ´~`)
昨日、新語・流行語大賞の候補の言葉が発表されましたが、そんな言葉聞いたことがない、というのもあり「ちーがーうーだーろー(`Δ´)」な気分になりました(笑)
タイトルにした「山眠る」は冬の季語です。セクシーな壇蜜さまのブログに
・・・木の上の雪が「ドササササーー!!」と落ちる音はあんなに賑やかで大きいのに…。あれは眠った山の「寝言」かもしれません。たまに人間でもいますよね。寝言がハッキリシッカリしずぎている人。
…あれ、私かな。・・・
とあって、こういう発想って楽しい~!と思いました。考えたことがなかったので。
季語を調べるには歳時記が便利ですが、今はスマホですぐ検索出来ますよね。この前、広辞苑の話をチラリと書きましたが、国語辞典とか私はどこにやってしまったかしら?と、吉川英治さんの『辞典のすすめ』を読んで思いました。青空文庫で読めますが、とても短いので転載しますね。
とかく、現代人はまだ、辞書辞典などを、ほんとに、自分の頭脳にしきっていない。そのくせ、現今ほど、辞典の良書が、ぼくらの書架に、その選択の自由を豊かにされている時代もないのだが、なお遅れているのは、よくその辞典を使い生かす、こちらの頭の方にあるとおもう。
ひとつの理由は、その習慣づけが足りないのである。すぐ辞典を引く、またすぐ、辞書に問うてみるという日常の習性が日本人にはいたってすくない。ばかなはなしである。自分の書架に、ちゃんと、いつでも何でも訊いてくれといわんばかりに輝かがやいている良師良友の辞典を措き忘れて、わからぬ事を、わからぬままに、よそへ向って、うろうろしている愚を、よく自分に見出すことがありはしないか。いやひとごとではない。私たちのような書斎人といわれる者すら、ままそんな非文化的な徒労をやって、あとから辞典に見いだして、ひと知れずよく苦笑する。自嘲をおぼえる。
一冊の良い辞典を備えれば、数十冊のいや数百冊の雑書も不要になるかとさえ思われる。それほど辞典のエキスは濃密なのだ。私などは独学をやってきたので、ひと頃の青年期には、良い辞書も少なかったし、また容易に買えなかった。そこでたまたま、古本の辞典でも手に入れると、辞典の初めの、ア行やイ行から、辞典を読んでしまったりしたものだった。――今は良い辞典がありすぎるのか。学生諸子のそれの引用度を見ていると、いかにも、せっかくな恩恵を充分に生かしていない。もったいない。惜しまれる。辞典は自己の脳細胞そのものの一部であることを、うっかりしている。この大切な鍵を持ち忘れていたんでは、自分の天分の扉ドアを開くこともむりである。
(昭和三十五年)
ブログを書きはじめた頃は、国語辞典やら漢和辞典など手元においていたのに、今はどこにあるのかわからない~! 辞典・事典・辞書などのビミョーな違いについてはコチラをどうぞ。こういう時はやっぱりネットって便利と思います(笑)
http://www.ohtabooks.com/qjkettle/news/2015/02/16101614.html
辞典→自転→空回りと連想が広がり、まだまだ四畳半フォークの匂いがかすかにあった長渕剛さんの『順子』や『巡恋歌』が浮かんできましたわ。順子を真子に置き換えて歌ったこともありましたっけ。(そういえば、眞子さまの正式婚約発表はいつになるんでしょう?) 石野真子ちゃんとの結婚も志保美悦子さんとの再婚もビックリだったなぁ( ´~`)
昨日、新語・流行語大賞の候補の言葉が発表されましたが、そんな言葉聞いたことがない、というのもあり「ちーがーうーだーろー(`Δ´)」な気分になりました(笑)
rohengram799 at 14:33|Permalink│Comments(4)