備忘の果実 〜オスカー戯言日記〜

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タグ:日露戦争

最近、ブログにおじゃまさせていただいているkazuさまの記事に『女の都団地』という夢のような文字がっ(笑)


「女の都」と書いて「めのと
」1丁目-4丁目まである、丘陵地を切り開いて造成された、長崎市の新興住宅地(昭和40年代後半から開発が行なわれた)だそうです。


平家の落人、特に女性が落ち延びた地、というのが「女の都」の地名の由来で、同地にある「おたけ公園」もおたけさんからとったらしいです。


「峰遠山(ほうとおさん)」頂上には、日露戦争で亡くなった人を奉った慰霊碑があるとか。


女の都といえば、ドラクエの移民の町で唯一完成させたのが「女性だけの町」!ピンクのお城でした~すでにこの頃からおやぢモードだったようです(--;)


今日は長野、札幌、南極に中国と長崎…とずいぶん旅をしました~(((^^;)旅行疲れで、コメントのお返事が遅くなったらごめんなさい!!


テコンドーの試合で長崎へ



ブログネタ
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今日は『乃木大将の日』、1912(大正元)年、乃木希典大将が明治天皇の大喪の日に夫人とともに殉死した日にあたります。


自宅のあった地に、乃木大将を祀った乃木神社が建てられて、一部の人々にはパワースポットなどと言われているようです。


乃木さんは、明治天皇からの信望が厚く、明治天皇が後継者と期待していた迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)の教育係として学習院院長に命じられます。


私は、何かの小説でこのことを知り、「ほぉ~」と思った記憶があります。乃木さんと昭和天皇が同時代に存在したという感覚が持てなかったんでしょうね。日露戦争は、太平洋戦争に比べてすごい昔の感覚だったと思います。


幼親王も乃木さんを慕っていたようですし、乃木さんも聡明な親王に陽明学を勧めたり…遺された逸話や昭和天皇の話などを聞きますと、良い先生だったのでしょうね。殉死の数日前には、乃木さんが自ら写本した山鹿素行の『中朝事実』と『中興鑑言』を渡し、この本がいかに素晴らしいかを説き、熟読するよう念押ししたそうです。当時、弱冠10歳の親王は、乃木さんのただならぬ気配に「これは遺言だ」と気付き、思わず「閣下はどこかに行ってしまわれるのですか?」と聞いたそうです(ToT)


私にとって乃木さんは、映画『二百三高地』の中代達矢さんのイメージです。日露戦争後、明治天皇の御前でおそらく報告書を読み上げていた場面だと思いますが、途中から涙で言葉につまる乃木さん。その様子を見て、かたわらにいき、いたわるように肩に手を置いた明治天皇役の三船敏郎。この場面では、もう~ただただ涙、涙…でありました。


軍人とはいえ、一般人が神格化され、神社があるのはすごいことですね。判官びいきのところもあるのかもしれませんが…。また『殉死』を探してみようかと思いました。合掌。



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