春窮

2016年03月09日

春雲便りNo.9:春なのに…

『半島の奥の奥春窮ありといふ』(林翔)


最初「春に窮する」ってなんだろう、と思いました。いろんなものが芽吹く時期で豊かになればこそ困ることなんてある?と……調べてみたら「春小麦の収穫前に秋に収穫した穀物の蓄えがなくなる現象を言います」「冬から春にかけて、前年収穫したものを食べつくし困窮すること。旱や日照不足で前年の収穫が少なかった年は、多くの餓死者が出
るほどであった。」とありました。飽食の時代と言われていますが、日本にも苦しい時代はあったし、今現在も苦しんでいる人たちは世界中にいるんですよね。学生時代に習った「貧窮問答歌」を思い出しました。私は「ひんきゅうもんどうか」と習ったのですが、私より後の世代は「ひんぐもんどうか」という読み方で習いましたか? 



今は梨木香歩さんの『雪と珊瑚と』を読んでいます。珊瑚は21歳。生まれたばかりの赤ちゃんの雪と暮らすシングルマザーです。働こうにも保育園はいっぱいでどうしよう、というところに、うまいこと手助けしてくれる人が現れ、また他の様々な人たちに助けられ「心にも体にもやさしい惣菜カフェ」をオープンさせる……という、出来すぎ感あふれるお話です……なんていうのかな、人の縁は不思議なのでうまく行くときには本当に嘘みたい!にいろんなことが繋がるというのは否定しません。でも登場人物にまとまりがないというか、なんかしっくりなこないんですよね。


雪をあずかってくれる、くららさんという女性がいるのですが、外国の修道院にいたことがあるということで聖書に関連した話がよく出てきます。シングルマザーという設定も他人にどこまで頼るか、生活支援、援助みたいなことについて、受ける側の気持ちを書きたかったからなのかな、みたいに感じます。素直に頑張ってお店をオープンしました、よかったね!みたいに素直には読めないというか……(まだ読みかけなので準備段階なんですけどね)教会に通ったことがあるとか事業主になろうとか、興味があるとかでないとあきてしまうかも?←あくまで私の感想です(;^_^A



珊瑚の母は男関係がだらしない人で、そのうちのひとりのパパが置いていったと思われる、石原吉郎の詩集がでてきます。私は物語上の架空の詩人かと思っていましたが、実在した方でした。


は1915年静岡生まれ。1938年、東京外国語学校ドイツ部貿易科卒業。大阪ガスに入社、研究部に勤務。姫松教会にて洗礼を受ける。1939年応召。その後はシベリア抑留を体験。1953年3月、スターリン死去。特赦により日本へ帰還。1977年11月14日、死去。検索していくつか詩を読みましたが、難解でした。なんとなく雰囲気はわかる、みたいな……(´-ω-`)



『夜がやって来る』

駱駝のような足が
あるいて行く夕暮れがさびしくないか
のっそりとあがりこんで来る夜が
いやらしくないか
たしかめもせずにその時刻に
なることに耐えられるか
階段のようにおりて
行くだけの夜に耐えらるか
潮にひきのこされる
ようにひとり休息へ
のこされるのがおそろしくないか
約束を信じながら 信じた
約束のとおりになることが
いたましくないか




小説には美味な料理の描写もたくさんありますし、赤ちゃんの成長の様子など丁寧に書いていると思いました。 またくららさんがかつて体験したアッシジの地震後の出来事について語った時の言葉もいいなと思いました。


『どんな絶望的な状況からでも、人には潜在的に復興しようと立ち上がる力がある。その試みは、いつか、必ずなされる。でも、それを、現実的な足場から確実なものにしていくのは温かい飲み物や食べ物…スープでもお茶でも、たとえ一杯のさ湯でも。そういうことも、見えてきました。』



今日はまた雨になりそうです。皆さま、体調にお気をつけ下さいませ。






rohengram799 at 09:33コメント(8) 
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