武士

2010年09月18日

第267号:武士はブシでも鰹節

どの『忠臣蔵』できいたのか、はっきりしないこのセリフ(笑)


『忠臣蔵』の時期にはかなり早いのだけれど…って、季節に関係なく見たいものは見たいですよね(((・・;)


吉良さまが殿に意地悪したのは、単に好き嫌いもあったのだろうけれど、「赤穂の塩」で知られるように、塩田がらみではないかとか、一部の困ったアタマの方々用に、吉良さまが殿の大事な主税くんに色目を使い、フラれたからなんて説もあるそうですね(-.-)ノ。


あと、堀部安兵衛とイトコの人間が、「忠臣蔵」の芝居を作って広めたとか…まぁいろいろな話があるものです。


ところで、仮名手本忠臣蔵とかで大石内蔵助は太夫と呼ばれるじゃないですか?


この太夫(たゆう)ってなんだ!?とい話になり~本来大夫とは中国の宮廷の官位からきているらしいですね。


日本では四位か五位になり、大石どののご先祖さまは宮廷に仕えていたことに…。


祖先が俵藤太秀郷ということになっているらしいので、性は藤原、名は良雄。


大石内蔵助は通称で、実名は藤原良雄、フルネームは「大石内蔵助藤原良雄」というのが正式名だそうです。長い!!


大石どのたちの吉良屋敷討ち入りをもとに、仮名手本忠臣蔵が創作されて人形浄瑠璃の演目に。


そして後に歌舞伎の演目になりました。


寛永元年1748年に初演になり、翌年江戸歌舞伎になり大ヒット☆


当時、江戸幕府の時代背景では実名で演ずることははばかれたため、大石内蔵助は大星由良之助で、浅野内匠頭を塩冶判官、そして吉良上野介を高師直に変えて上演。


現代の歌舞伎「元禄忠臣蔵」は昭和9年に実名で作り変えて上演されたのが、初演だそうです。


この元禄忠臣蔵から実名である大石内蔵助の名前が使われるように~芝居一つとっても、いろいろ歴史があるのですね。


吉良さまは悪いじいさまと言われていますが、地元では評判が良いとききますし、討ち入りに来ないと考えていたらしく、こわれた塀もそのままだったとか…。


本当のところはまったくわからないのが、歴史の真実…(~_~;)?


rohengram799 at 01:26|PermalinkComments(0)

2010年06月08日

ひつじ雲便り58:茶道は戦国武士のたしなみ

お茶の話関連で…ただいま「週刊モーニング」に隔週連載している『へうげもの』は、出世と物、ふたつの<欲>の間で日々葛藤と悶絶を繰り返す戦国武将☆古田織部☆の物語。こちらも『お茶にごす』と同じで<第百二十一席>とあります(笑)


絵柄の迫力、独特の美的表現、次回予告のキャッチコピーなど~私は大好きですぅ(^.^)そしてまた、グッとくる場面の数々…利休が切腹するまでの一連のやりとりには、なんともいえません…(T-T)よかったら、読んみて下さいませm(__)m



rohengram799 at 09:51|PermalinkComments(0)
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