深沢かすみ
2014年01月10日
にじ雲便りNo.9:忘れものを忘れたい(ノ_・,)
今日はまた一段と寒いですね。
最近はずっと鼻がつまっている感じ……そして確かに買ったはずのものをどこかに忘れてきているらしく……そろそろヤバイかも(;゜∇゜)
この前は鶏肉のつみれとスープの素がなかった(~_~;)
買い物かごに入れてレジに行った記憶はあるのですが、袋に詰めたか不明(・_・?)でもスーパーのかごには何もなかったのは覚えているんです。帰宅して冷蔵庫に他の品物を入れた時にないような気がする……になり、あちこち見たけどナイ!!
ダンナさんの車で行ったのでそこにあるのかなぁ?とノンキに思って確認もせず何日か過ぎた今日、またやってしまった!
コンビニで買ったダンナさんの酒が1本ナイ……2本買ったのに。他にはお茶とおむすび。思いあたるのはバスの中に置き忘れ!袋が小さくて(リュックは他で買い物したものでいっぱいで中に入れられなかった)横にしたりしてたからコロンとしてしまったかも……ポッケには文庫本やPASMOがあっていてムダに動いたのが悪かったのか( ̄~ ̄;)
この前わた雲便りNo.24:銀河のワルツ(追記:蕎麦ばった)で書いた『ふるさと銀河線』のマンガ版を買ったのですが、このマンガの感じは好きです~読んでいて胸がいっぱいになってしまった(´∇`) その中にアルツハイマーになった母親が出てくる話があります。だんだん物忘れがひどくなってきて、受診したら…かつて介護していた姑のことを思い出して、自分もあんなふうになってしまうのかと…。息子家族に迷惑はかけられない!と自分は忘れないようにノートにメモして忘れたら読んで……と遠方で暮らす息子たちに気づかれないよう努力するのですが、やっぱり限界がきました。
施設の庭のベンチに座わるふたり、息子だとわからなくなったお母さんと静かに語らいます。
「今は? 春?」
「夏の終わりです」
「そう なら晩夏光ね」
「え?」
「ほら あの太陽 真夏のギラギラした陽差しに比べてやわらかでまろみのある光でしょう? まるで今の私みたい…」
そうしてこう言っておだやかにほほえむのです。
「私ね 少し前まで何だかとても恐いものがあって……何か忘れてしまったけれど でも今は違う 今は…この日差しのような心持ちなの」
乙羽信子さんが存命なら映画で見たい作品ですが、自分はどうなるんだろう、もし認知症になり、記憶が曖昧になり、子どもたちがわからなくなっても、人としての美しさを一部でも保っていられるかしら…と考えてしまいました。
あと寺山修司の『幸福が遠すぎたら』をタイトルにした作品が最初にあるのですが、年齢も近いこともあり、マンガで読んでまた・゜・(つД`)・゜・でありました。
『幸福が遠すぎたら』
さよならだけが
人生ならば
また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いてる野の百合何だろう
さよならだけが
人生ならば
めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼けと
ふたりの愛は何だろう
さよならだけが
人生ならば
建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろう
さよならだけが
人生ならば
人生なんか いりません
最近はずっと鼻がつまっている感じ……そして確かに買ったはずのものをどこかに忘れてきているらしく……そろそろヤバイかも(;゜∇゜)
この前は鶏肉のつみれとスープの素がなかった(~_~;)
買い物かごに入れてレジに行った記憶はあるのですが、袋に詰めたか不明(・_・?)でもスーパーのかごには何もなかったのは覚えているんです。帰宅して冷蔵庫に他の品物を入れた時にないような気がする……になり、あちこち見たけどナイ!!
ダンナさんの車で行ったのでそこにあるのかなぁ?とノンキに思って確認もせず何日か過ぎた今日、またやってしまった!
コンビニで買ったダンナさんの酒が1本ナイ……2本買ったのに。他にはお茶とおむすび。思いあたるのはバスの中に置き忘れ!袋が小さくて(リュックは他で買い物したものでいっぱいで中に入れられなかった)横にしたりしてたからコロンとしてしまったかも……ポッケには文庫本やPASMOがあっていてムダに動いたのが悪かったのか( ̄~ ̄;)
この前わた雲便りNo.24:銀河のワルツ(追記:蕎麦ばった)で書いた『ふるさと銀河線』のマンガ版を買ったのですが、このマンガの感じは好きです~読んでいて胸がいっぱいになってしまった(´∇`) その中にアルツハイマーになった母親が出てくる話があります。だんだん物忘れがひどくなってきて、受診したら…かつて介護していた姑のことを思い出して、自分もあんなふうになってしまうのかと…。息子家族に迷惑はかけられない!と自分は忘れないようにノートにメモして忘れたら読んで……と遠方で暮らす息子たちに気づかれないよう努力するのですが、やっぱり限界がきました。
施設の庭のベンチに座わるふたり、息子だとわからなくなったお母さんと静かに語らいます。
「今は? 春?」
「夏の終わりです」
「そう なら晩夏光ね」
「え?」
「ほら あの太陽 真夏のギラギラした陽差しに比べてやわらかでまろみのある光でしょう? まるで今の私みたい…」
そうしてこう言っておだやかにほほえむのです。
「私ね 少し前まで何だかとても恐いものがあって……何か忘れてしまったけれど でも今は違う 今は…この日差しのような心持ちなの」
乙羽信子さんが存命なら映画で見たい作品ですが、自分はどうなるんだろう、もし認知症になり、記憶が曖昧になり、子どもたちがわからなくなっても、人としての美しさを一部でも保っていられるかしら…と考えてしまいました。
あと寺山修司の『幸福が遠すぎたら』をタイトルにした作品が最初にあるのですが、年齢も近いこともあり、マンガで読んでまた・゜・(つД`)・゜・でありました。
『幸福が遠すぎたら』
さよならだけが
人生ならば
また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いてる野の百合何だろう
さよならだけが
人生ならば
めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼けと
ふたりの愛は何だろう
さよならだけが
人生ならば
建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろう
さよならだけが
人生ならば
人生なんか いりません
rohengram799 at 22:22|Permalink│Comments(8)