瀬々倉卓治
2015年04月16日
桜雲便りNo.16:あまやどり
突然の雷雨があるかも……!!にドキドキしていましたが、少なくとも私が仕事をしている間、外を見ても晴れ!夕方になってちょっと雨が降りましたか?というくらいで……傘の忘れ物が増えるわけですな(-。ー;)
♪それはまだ私が神様を信じなかった頃 9月のとある木曜日に雨が降りまして こんな日に素敵な彼が現れないかと 思ったところへあなたが雨やどり……
これはさだまさしさんの乙女チックな歌詞が恥ずかしくも初々しい(笑)『あまやどり』ですが、せっかくあまやどりしても、なかなか雨が上がらず、かえってスゴい雨になることってありますよね。江戸川柳の『本降りになって出て行く雨宿り』なんてまさにコレ!!( TДT) しかし、こちらなら大歓迎かも……「あまやどり」という品種の桜です。桜吹雪の中ならゆっくり歩いて帰ります(´∇`)
http://www.tree-flower.jp/26/nijojo_sakura_446/nijojo_sakura.htm
http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/hana-amayadori_large.html
川柳と言いますと、新聞の文芸投稿欄にこんな一句がありました。
『陽が昇る介護施設が動き出す』(千葉市 野口一風)
瀬々倉卓治さんが秀逸に選ばれた作品です。選評に『母は九十歳で逝き、父は百歳まで生きて、逝った。母の死後、私は父と添い寝をした。水道が凍る冬の朝、靴下を穿かせていた父から、不意に「お前が神様にみえる」と言われた。私に出来たのは、それだけだ。施設で、朝は同じ陽が昇る。これも一期一会だ。』
私は介護をするような状況になる前に両親がいなくなってしまいました。介護関係の話や小説にそんな描写があると、私は本当に何も知らないし何もやらない娘だったなぁと思います。いつも「ご苦労なし」と言われてきたので、とてもじゃないけど面倒みてほしくないわぁ~と両親が思っていて、それを神様が聞き入れてくれたのではないかしら、と考えてみたり……苦労が足りない分、人としての「厚み」「深み」に欠けているんだろうなぁ…身体の厚みと欲望の深さは人並み以上にあるのに……とか、ガッツリ落ち込まない程度に考えながら、黙々とモップをかけたりしています。
『親の希望次々残して子は育つ』(サラリーマン川柳)
末は博士か大臣か……今だと何になるのかな? そんな大それた希望はなくても、親にしてみたらささやかな希望っていろいろありますね。子どもにも理想の親とか家庭とかあるでしょうけど。子どもが巣立った後に残るのは「希望という名の親のエゴ」なのかしらん( ̄~ ̄;)
先ほど小川洋子さんの『夜明けの縁をさ迷う人々』を読み終わりました。小川作品って私の中では結構好き嫌いがあるのですが、この本はなんとも言いがたい雰囲気が好きです。「お探しの物件」はいろんな変な人が建てたり、関わった変な物件を紹介してくれる不動産さんの話。ちょっとどの家もパス!!って感じです(笑) 全部で9つ、どれもSF(少し不思議)(☆o☆)な短編集でした。
ではでは、思いがけない出逢いのある木曜日になりますように……私はそろそろ寝ます~おやすみなさい(+.+)(-.-)(__)..zzZZ
♪それはまだ私が神様を信じなかった頃 9月のとある木曜日に雨が降りまして こんな日に素敵な彼が現れないかと 思ったところへあなたが雨やどり……
これはさだまさしさんの乙女チックな歌詞が恥ずかしくも初々しい(笑)『あまやどり』ですが、せっかくあまやどりしても、なかなか雨が上がらず、かえってスゴい雨になることってありますよね。江戸川柳の『本降りになって出て行く雨宿り』なんてまさにコレ!!( TДT) しかし、こちらなら大歓迎かも……「あまやどり」という品種の桜です。桜吹雪の中ならゆっくり歩いて帰ります(´∇`)
http://www.tree-flower.jp/26/nijojo_sakura_446/nijojo_sakura.htm
http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/hana-amayadori_large.html
川柳と言いますと、新聞の文芸投稿欄にこんな一句がありました。
『陽が昇る介護施設が動き出す』(千葉市 野口一風)
瀬々倉卓治さんが秀逸に選ばれた作品です。選評に『母は九十歳で逝き、父は百歳まで生きて、逝った。母の死後、私は父と添い寝をした。水道が凍る冬の朝、靴下を穿かせていた父から、不意に「お前が神様にみえる」と言われた。私に出来たのは、それだけだ。施設で、朝は同じ陽が昇る。これも一期一会だ。』
私は介護をするような状況になる前に両親がいなくなってしまいました。介護関係の話や小説にそんな描写があると、私は本当に何も知らないし何もやらない娘だったなぁと思います。いつも「ご苦労なし」と言われてきたので、とてもじゃないけど面倒みてほしくないわぁ~と両親が思っていて、それを神様が聞き入れてくれたのではないかしら、と考えてみたり……苦労が足りない分、人としての「厚み」「深み」に欠けているんだろうなぁ…身体の厚みと欲望の深さは人並み以上にあるのに……とか、ガッツリ落ち込まない程度に考えながら、黙々とモップをかけたりしています。
『親の希望次々残して子は育つ』(サラリーマン川柳)
末は博士か大臣か……今だと何になるのかな? そんな大それた希望はなくても、親にしてみたらささやかな希望っていろいろありますね。子どもにも理想の親とか家庭とかあるでしょうけど。子どもが巣立った後に残るのは「希望という名の親のエゴ」なのかしらん( ̄~ ̄;)
先ほど小川洋子さんの『夜明けの縁をさ迷う人々』を読み終わりました。小川作品って私の中では結構好き嫌いがあるのですが、この本はなんとも言いがたい雰囲気が好きです。「お探しの物件」はいろんな変な人が建てたり、関わった変な物件を紹介してくれる不動産さんの話。ちょっとどの家もパス!!って感じです(笑) 全部で9つ、どれもSF(少し不思議)(☆o☆)な短編集でした。
ではでは、思いがけない出逢いのある木曜日になりますように……私はそろそろ寝ます~おやすみなさい(+.+)(-.-)(__)..zzZZ
2012年05月09日
あかね雲便りNo.8:蘖(ひこばえ)
『蘖や涙に古き涙はなし』(中村草田男)
蘖(ひこばえ)とは、樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のことで、太い幹に対して、孫(ひこ)に見立てて「ひこばえ(孫生え)」というそうです。
ワタクシ、いつもの思い込みで「ひこばえ」は「やまびこ」の仲間だと思っていました…多分『遥かなる山の呼び声』というタイトルの影響だと思われます…調べて良かった(((^_^;)
草田男は“蘖のように涙は次々と新しくあふれるものだ”と詠んだのでしょうか。そしてこの涙は辛く悲しくせつない涙のように感じます。春先から夏に見られますが、季語としては春になるそうで…花吹雪の中の別れの情景と大好きな李白の『黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る』が浮かんできます。皆さまも中学の教科書に載っていませんでしたか?
五層の高楼・黄鶴楼。昔酒場の壁に仙人が描いた黄色い鶴が歌に合わせて踊り出すということで評判になり店が繁盛したという。そして再び仙人が現れ壁の鶴の背に乗って去って行ったと云う伝説があるそうですよ。
故人西辞黄鶴楼
煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽
唯見長江天際流
故人 西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月 揚州に下る
孤帆の遠影 碧空に尽き
唯(ただ)見る 長江の天際(てんさい)に流るるを
我が友、孟浩然は黄鶴楼に別れを告げ、これを西にして春霞に花が咲き乱れる春三月に揚州へと下ってゆく。 ポツンとひとつ遠くに浮かんだ帆影はしだいに碧空へ吸い込まれるように消え失せ、あとはただ長江がはるかな空の果てまでも流れていくばかりである。
悲しいとか寂しいとか直接言葉にしない分、大切な友人と別れた後の李白の気持ちが伝わってきて、いつ読んでも胸キュン!!お鼻がツーン!!であります。
そうだ!肝心なことを書いていませんでした。私が「蘖とは何ぞや?」と思ったのは新聞に載っていた川柳からです。
『老木が教える人の咲かせ方』(流山市 大竹芒洋)
この句は秀逸に選ばれていました。選者の瀬々倉卓治さんの寸評です。
「倒れた樹は、ひとの姿になっている。起きあがる樹は蒼天をさしている。枯れた樹は土の中で蘖を抱いている。老木の枝に梅がいち輪。私に、いつも不滅を暗示する。齢(とし)をとると樹の言葉がわかる。」
>枯れた樹は土の中で蘖を抱いている。
この言葉に導かれ、また新しい知識の若芽を出すことができそうです。今日も荒れた天気になりそうですが、気持ちはいつも五月晴れ、天晴れでまいりましょう\(^o^)/
蘖(ひこばえ)とは、樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のことで、太い幹に対して、孫(ひこ)に見立てて「ひこばえ(孫生え)」というそうです。
ワタクシ、いつもの思い込みで「ひこばえ」は「やまびこ」の仲間だと思っていました…多分『遥かなる山の呼び声』というタイトルの影響だと思われます…調べて良かった(((^_^;)
草田男は“蘖のように涙は次々と新しくあふれるものだ”と詠んだのでしょうか。そしてこの涙は辛く悲しくせつない涙のように感じます。春先から夏に見られますが、季語としては春になるそうで…花吹雪の中の別れの情景と大好きな李白の『黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る』が浮かんできます。皆さまも中学の教科書に載っていませんでしたか?
五層の高楼・黄鶴楼。昔酒場の壁に仙人が描いた黄色い鶴が歌に合わせて踊り出すということで評判になり店が繁盛したという。そして再び仙人が現れ壁の鶴の背に乗って去って行ったと云う伝説があるそうですよ。
故人西辞黄鶴楼
煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽
唯見長江天際流
故人 西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月 揚州に下る
孤帆の遠影 碧空に尽き
唯(ただ)見る 長江の天際(てんさい)に流るるを
我が友、孟浩然は黄鶴楼に別れを告げ、これを西にして春霞に花が咲き乱れる春三月に揚州へと下ってゆく。 ポツンとひとつ遠くに浮かんだ帆影はしだいに碧空へ吸い込まれるように消え失せ、あとはただ長江がはるかな空の果てまでも流れていくばかりである。
悲しいとか寂しいとか直接言葉にしない分、大切な友人と別れた後の李白の気持ちが伝わってきて、いつ読んでも胸キュン!!お鼻がツーン!!であります。
そうだ!肝心なことを書いていませんでした。私が「蘖とは何ぞや?」と思ったのは新聞に載っていた川柳からです。
『老木が教える人の咲かせ方』(流山市 大竹芒洋)
この句は秀逸に選ばれていました。選者の瀬々倉卓治さんの寸評です。
「倒れた樹は、ひとの姿になっている。起きあがる樹は蒼天をさしている。枯れた樹は土の中で蘖を抱いている。老木の枝に梅がいち輪。私に、いつも不滅を暗示する。齢(とし)をとると樹の言葉がわかる。」
>枯れた樹は土の中で蘖を抱いている。
この言葉に導かれ、また新しい知識の若芽を出すことができそうです。今日も荒れた天気になりそうですが、気持ちはいつも五月晴れ、天晴れでまいりましょう\(^o^)/