縁日
2017年05月18日
起雲便りNo.17:あかい猫
青空文庫にあった『赤いねこ』(沖野岩三郎)というタイトルが気になり、読んでみました。
雨がしとしと降った翌日に、看板に赤いインキで書かれたお知らせが流れ落ちてしまい、全く役にたっていないことに「これはいけない」とみょうな使命感に目覚めたおじいさんは、自分が雨にうたれても水をかけられても消えないインキをつくるぞ!とはりきり、成功させます。
ある日のこと、家の近くの空き地に一匹の白い猫がいました。とても綺麗な野良猫が家までついてきます。おばあさんとウチで飼いましょうということに。そしてこのおじいさん、何を思ったか、自分の作ったインキで猫を真っ赤に染めると言い出しました。猫が特に抵抗した様子がないとはいえ、これは・・・動物虐待、動物実験に近いものがないかい?
真っ赤になった白ねこ、おじいさんとお風呂に入ったら元通りに! おじいさん、毛もしっかり赤に染まるインキの開発にまたまた着手します。そして成功! じいさん、何者なんだよ?
しかし、時間経過とともに元通りになってしまうかも知れないので、大きな箱に入れて外に出さないようにして様子をみようと。しかし、とても猫が鳴く日があり、おばあさんはちょっとだけ箱を開けました。喜んで出てきた猫は部屋の中をはしゃぎまわります。そして障子の隙間から外へ!
「白よ 白よと よんでも、赤よ 赤よと よんでも、どこにも ねこの すがたは 見えません。」
・・・ここは子どもが聞いたら笑うところなんでしょうか? 猫は屋根の上にのぼり、あちこち眺めて嬉しそう。そうこうしているうちにご近所さんが集まり、赤い猫は注目の的に。
・・ みんなが わいわい いって さわいで ゐますと、一人の 男が、
「わかった、わかった。ここの おぢいさんは、雨に うたれても、水を ぶっかけても きえない 赤インキを 売って ゐるが、その インキは、あの ねこの 毛で つくるんだ。これで わかった。」
と、いひますと、みんなが、
「さうだ、さうだ。あれは インキの もとだ。」と、申しました。・・・
やめてぇ~!と叫びたくなるような展開(´д`|||)
猫はそのうちに降りてきたので、おばあさんは抱いて家の中に。赤い猫を見たい人たちも家の中に。 そこへ一人の立派なご婦人が「おばあさん、その ねこを、十円で 私わたしに 売って 下さい。」と言うので、おばあさんはこれはもともと白い野良猫で赤インキで染めたものだと言いましたが、だんだん値をつり上げていきます。二十円で 売って 下さい。」
・・・「おくさま、これは ほんたうの のらねこで ございますよ。三十銭の ねうちも、五十銭の ねうちも ありはしません。これは 白い 毛を 赤インキで そめただけ ですよ。世界ぢゅうに 赤い ねこなんて あるもの ですか。」
おばあさんが、大きな こゑで どなるやうに いひますと、女の人は、
「さうですとも、世界ぢゅうに 赤い ねこなんて、たった 一ぴきしか ゐやしません。では 思ひきって、百円 さしあげませう。」
と、いって また 五十円 出して ならべました。
おばあさんは、こまって しまって、たたみの 上の お金を あつめて、かへさうと しました時、だいて ゐた 赤ねこが、のこのこと その 女の 人の ところへ あるいて 行きましたので、女の 人は とても よろこんで、その ねこを 両手で だいて、
「では おばあさん、この ねこは 私が つれて 行きますよ。」
と、いって 大いそぎで おもてに 出ると、自動車に のって、どこかへ 行って しまひました。
・・・
この後、どうなるかと言いますと、おじいさんは猫を連れていったご婦人がお金持ちの貴族だと判明。臆することも媚びを売ることもなく、あれは染めた猫だとおばあさんと同じ事を説明します。ご婦人はあなた方の正直さに感心したので、百円で野良猫をもらいますと。そして別に一万円貸すので、インキ工場をつくりなさいと。
・・・ある日の こと、ねこを 買った 女の 人が 会社に 来て 見ますと、会社の おもてには、おぢいさんの 下手な 字で、
インキ インキ 上とうの あかインキ
雨に うたれても 水を ぶっかけても
きえない 上とうの 赤インキ
白ねこを そめて かめのこだはしで
ごしごし あらっても 白くならない
上とうの 赤インキ製造会社
と、赤インキで 書いた、大きな かんばんが、かかってゐました。・・・
メデタシメデタシなんですかね? 黒い猫は不吉だけれど白い猫は幸運を運ぶとか、正直者にはいいことがあるとか、猫の恩返しみたいな話? う~ん、やっぱり染めるとか、縁日のカラーヒヨコを思い出して素直に「おじいさんの発明はスゴい!みんなのためになったね!」とか思えない~モヤモヤする!
作者の沖野 岩三郎(おきの いわさぶろう、1876年1月5日 - 1956年1月31日)ですが、Wikipediaによると「和歌山県生まれ。明治学院神学科卒。和歌山県で伝道中に大逆事件に巻き込まれる。1917年大逆事件をモデルとした小説『宿命』が大阪朝日新聞の懸賞に当選、1918年上京して芝三田統一基督教会の牧師となり、宗教活動をしながら小説を書き、牧師作家と呼ばれ、児童読物、通俗小説のほか『娼妓解放哀話』で知られる。」そうです。
他の作品を読んでみたらまた違うかしら? 青空文庫はスマホだと読みにくいんですよね・・・(;´Д`)
雨がしとしと降った翌日に、看板に赤いインキで書かれたお知らせが流れ落ちてしまい、全く役にたっていないことに「これはいけない」とみょうな使命感に目覚めたおじいさんは、自分が雨にうたれても水をかけられても消えないインキをつくるぞ!とはりきり、成功させます。
ある日のこと、家の近くの空き地に一匹の白い猫がいました。とても綺麗な野良猫が家までついてきます。おばあさんとウチで飼いましょうということに。そしてこのおじいさん、何を思ったか、自分の作ったインキで猫を真っ赤に染めると言い出しました。猫が特に抵抗した様子がないとはいえ、これは・・・動物虐待、動物実験に近いものがないかい?
真っ赤になった白ねこ、おじいさんとお風呂に入ったら元通りに! おじいさん、毛もしっかり赤に染まるインキの開発にまたまた着手します。そして成功! じいさん、何者なんだよ?
しかし、時間経過とともに元通りになってしまうかも知れないので、大きな箱に入れて外に出さないようにして様子をみようと。しかし、とても猫が鳴く日があり、おばあさんはちょっとだけ箱を開けました。喜んで出てきた猫は部屋の中をはしゃぎまわります。そして障子の隙間から外へ!
「白よ 白よと よんでも、赤よ 赤よと よんでも、どこにも ねこの すがたは 見えません。」
・・・ここは子どもが聞いたら笑うところなんでしょうか? 猫は屋根の上にのぼり、あちこち眺めて嬉しそう。そうこうしているうちにご近所さんが集まり、赤い猫は注目の的に。
・・ みんなが わいわい いって さわいで ゐますと、一人の 男が、
「わかった、わかった。ここの おぢいさんは、雨に うたれても、水を ぶっかけても きえない 赤インキを 売って ゐるが、その インキは、あの ねこの 毛で つくるんだ。これで わかった。」
と、いひますと、みんなが、
「さうだ、さうだ。あれは インキの もとだ。」と、申しました。・・・
やめてぇ~!と叫びたくなるような展開(´д`|||)
猫はそのうちに降りてきたので、おばあさんは抱いて家の中に。赤い猫を見たい人たちも家の中に。 そこへ一人の立派なご婦人が「おばあさん、その ねこを、十円で 私わたしに 売って 下さい。」と言うので、おばあさんはこれはもともと白い野良猫で赤インキで染めたものだと言いましたが、だんだん値をつり上げていきます。二十円で 売って 下さい。」
・・・「おくさま、これは ほんたうの のらねこで ございますよ。三十銭の ねうちも、五十銭の ねうちも ありはしません。これは 白い 毛を 赤インキで そめただけ ですよ。世界ぢゅうに 赤い ねこなんて あるもの ですか。」
おばあさんが、大きな こゑで どなるやうに いひますと、女の人は、
「さうですとも、世界ぢゅうに 赤い ねこなんて、たった 一ぴきしか ゐやしません。では 思ひきって、百円 さしあげませう。」
と、いって また 五十円 出して ならべました。
おばあさんは、こまって しまって、たたみの 上の お金を あつめて、かへさうと しました時、だいて ゐた 赤ねこが、のこのこと その 女の 人の ところへ あるいて 行きましたので、女の 人は とても よろこんで、その ねこを 両手で だいて、
「では おばあさん、この ねこは 私が つれて 行きますよ。」
と、いって 大いそぎで おもてに 出ると、自動車に のって、どこかへ 行って しまひました。
・・・
この後、どうなるかと言いますと、おじいさんは猫を連れていったご婦人がお金持ちの貴族だと判明。臆することも媚びを売ることもなく、あれは染めた猫だとおばあさんと同じ事を説明します。ご婦人はあなた方の正直さに感心したので、百円で野良猫をもらいますと。そして別に一万円貸すので、インキ工場をつくりなさいと。
・・・ある日の こと、ねこを 買った 女の 人が 会社に 来て 見ますと、会社の おもてには、おぢいさんの 下手な 字で、
インキ インキ 上とうの あかインキ
雨に うたれても 水を ぶっかけても
きえない 上とうの 赤インキ
白ねこを そめて かめのこだはしで
ごしごし あらっても 白くならない
上とうの 赤インキ製造会社
と、赤インキで 書いた、大きな かんばんが、かかってゐました。・・・
メデタシメデタシなんですかね? 黒い猫は不吉だけれど白い猫は幸運を運ぶとか、正直者にはいいことがあるとか、猫の恩返しみたいな話? う~ん、やっぱり染めるとか、縁日のカラーヒヨコを思い出して素直に「おじいさんの発明はスゴい!みんなのためになったね!」とか思えない~モヤモヤする!
作者の沖野 岩三郎(おきの いわさぶろう、1876年1月5日 - 1956年1月31日)ですが、Wikipediaによると「和歌山県生まれ。明治学院神学科卒。和歌山県で伝道中に大逆事件に巻き込まれる。1917年大逆事件をモデルとした小説『宿命』が大阪朝日新聞の懸賞に当選、1918年上京して芝三田統一基督教会の牧師となり、宗教活動をしながら小説を書き、牧師作家と呼ばれ、児童読物、通俗小説のほか『娼妓解放哀話』で知られる。」そうです。
他の作品を読んでみたらまた違うかしら? 青空文庫はスマホだと読みにくいんですよね・・・(;´Д`)
rohengram799 at 10:15|Permalink│Comments(8)
2016年08月10日
乗雲便りNo.10:乱婆怒~ランバダにあらず(ー_ー;)
『今年また生きて残暑を嘆き合う』(池田澄子)
今年の夏はとにかくアツい~心身ともに消耗しますね。ワタクシ、今日でめでたく生誕19,100日を迎えたのですが(乗雲便りNo.1:限界WORKERS (-""-;)後半をお読み下さい)20日に19,200、30日に19,300とカレンダーに書き込んだ数字を見てダンナが「おかーさん、これおかしいよ。20日は19,110日でしょ?」と………( -_・)?……あっ( ̄□ ̄;)!!……10日を100日と考えていたとは……夏の暑さのせいよね、そうよね、そうに違いない!と思いたいおバカさんなワタクシでした。しかし、考えてみると「四万六千日」(ほおずき市)ってスゴい年月ですよね。どうしてもおまいりしたい!という気持ち、自分の年齢を日単位にしてよくわかりました。(第180号:四万六千日の想いは重い)
さてさて……最近では、ひとりっ子や子どもが少ない家庭も多くなって「お盆玉」やら「孫の日」やら「ジュニアアNISA(ニーサ):未成年者少額投資非課税制度」など、祖父母のお金を使わせよう!的なものが目立ちますね。親の場合ももちろんあるでしょうが、ランドセルにあてる金額も高くなっているのだとか。、特に職人が手作りする「工房系」のランドセルが大人気で、購入希望者が殺到し、ウェブサイトのサーバーが落ちてしまうなどのトラブルまであったと聞いては、なんでそこまで……と思ってしまいます( ̄~ ̄;)
昔はランドセルは赤と黒しか選択肢がなかったけれど、今はカラーバリエーションが豊富すぎて(笑)ブランド物も多いし。素材や背負い心地も重視すると「やっぱり職人の手作業のランドセルよね!」となり『ラン活』という言葉まで出てきているらしい……最初「ランニング活動」かと思いましたよ。ランニング仲間との交流を深めて、また仲間を増やす「みんなで広げよう、ともだちの輪」(古いっ!)みたいなものかと考えていました。
桜雲便りNo.8:ランドセル地蔵では、戦時中のランドセルの話など書きましたが、贅沢すぎますね。6年間ランドセルを背負う子どもって今は少ない気がしますが、どうなんでしょ?
突然「乱婆怒」という漢字が舞い降りてきました……読み方はランバード、ミズノとはもちろん無関係! カワイイ孫のために職人ランドセルを手に入れようとして叶わず、怒りまくり暴れるおばあさんのことです………もし私に孫が出来たらこうなってしまうのかしら!? 当分予定はないですけど( ̄▽ ̄;)
今年の夏はとにかくアツい~心身ともに消耗しますね。ワタクシ、今日でめでたく生誕19,100日を迎えたのですが(乗雲便りNo.1:限界WORKERS (-""-;)後半をお読み下さい)20日に19,200、30日に19,300とカレンダーに書き込んだ数字を見てダンナが「おかーさん、これおかしいよ。20日は19,110日でしょ?」と………( -_・)?……あっ( ̄□ ̄;)!!……10日を100日と考えていたとは……夏の暑さのせいよね、そうよね、そうに違いない!と思いたいおバカさんなワタクシでした。しかし、考えてみると「四万六千日」(ほおずき市)ってスゴい年月ですよね。どうしてもおまいりしたい!という気持ち、自分の年齢を日単位にしてよくわかりました。(第180号:四万六千日の想いは重い)
さてさて……最近では、ひとりっ子や子どもが少ない家庭も多くなって「お盆玉」やら「孫の日」やら「ジュニアアNISA(ニーサ):未成年者少額投資非課税制度」など、祖父母のお金を使わせよう!的なものが目立ちますね。親の場合ももちろんあるでしょうが、ランドセルにあてる金額も高くなっているのだとか。、特に職人が手作りする「工房系」のランドセルが大人気で、購入希望者が殺到し、ウェブサイトのサーバーが落ちてしまうなどのトラブルまであったと聞いては、なんでそこまで……と思ってしまいます( ̄~ ̄;)
昔はランドセルは赤と黒しか選択肢がなかったけれど、今はカラーバリエーションが豊富すぎて(笑)ブランド物も多いし。素材や背負い心地も重視すると「やっぱり職人の手作業のランドセルよね!」となり『ラン活』という言葉まで出てきているらしい……最初「ランニング活動」かと思いましたよ。ランニング仲間との交流を深めて、また仲間を増やす「みんなで広げよう、ともだちの輪」(古いっ!)みたいなものかと考えていました。
桜雲便りNo.8:ランドセル地蔵では、戦時中のランドセルの話など書きましたが、贅沢すぎますね。6年間ランドセルを背負う子どもって今は少ない気がしますが、どうなんでしょ?
突然「乱婆怒」という漢字が舞い降りてきました……読み方はランバード、ミズノとはもちろん無関係! カワイイ孫のために職人ランドセルを手に入れようとして叶わず、怒りまくり暴れるおばあさんのことです………もし私に孫が出来たらこうなってしまうのかしら!? 当分予定はないですけど( ̄▽ ̄;)
rohengram799 at 16:04|Permalink│Comments(12)
2010年07月10日
第180号:四万六千日の想いは重い
今日はすごい良い天気!!
ほおずき市もにぎわっていることでしょう♪「ほおずき市というと、四万六千日がついてくる!!」という感じですが(笑)詳しく知らないので、調べてみました。
観音さまのご縁日は「毎月18日」ですが、これとは別に室町時代以降に「功徳日(くどくび)」と呼ばれる縁日が新たに加えられ、月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。中でも、7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣」と呼ばれていたそうです。
浅草寺では、享保年間(1716~36)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は46,000日分(約126年分)に相当するといわれるように…。この数については「米一升分の米粒の数が46,000粒にあたり、一升と一生をかけた」など諸説ございますが、定説はないそうです。
この10日を待ち、「一番乗りで参拝したい!」という民衆の思いから、前日の9日より人出があり(いつの時代も同じだ~!!)、7月9・10日の両日が四万六千日のご縁日と受け止められるようになったそうです。また、この両日には「ほおずき市」が「四万六千日」のご縁日にちなんで開かれているそうです。
そもそもこの市は、芝の愛宕(あたご)神社の縁日に始まり、「ほおずきを水で鵜呑(うの)みにすると、大人は癪(しゃく)を切り、子どもは虫の気を去る」といわれるなど薬草として評判であったようです。その愛宕神社の縁日を、観音さまの功徳日にならい「四万六千日」と呼んでいました。やがて「四万六千日ならば浅草寺が本家本元」とされ、ほおずきの市が浅草寺境内にも立つようになり、かえって愛宕神社をしのぎ盛大になったと伝えられているそうです。
一方、江戸の昔、落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であったことから、文化年間(1804~18)以後に「雷除(かみなりよけ)」として赤とうもろこしが売られるようになりました。ところが~明治初年に不作が原因で、赤とうもろこしの出店ができなかったことから、人々の要望により「四万六千日」のご縁日に「雷除」のお札が浅草寺から授与されるようになり、今日に至っているそうです。
縁日というと、お祭りのイメージしかありませんが(笑)縁結びの日としてあらためて考えると、奥深いですね。余談ですが、甲府にも愛宕山があり、甲府の夜景を見るカップルでにぎわうそうです(爆)
ほおずき市もにぎわっていることでしょう♪「ほおずき市というと、四万六千日がついてくる!!」という感じですが(笑)詳しく知らないので、調べてみました。
観音さまのご縁日は「毎月18日」ですが、これとは別に室町時代以降に「功徳日(くどくび)」と呼ばれる縁日が新たに加えられ、月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。中でも、7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣」と呼ばれていたそうです。
浅草寺では、享保年間(1716~36)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は46,000日分(約126年分)に相当するといわれるように…。この数については「米一升分の米粒の数が46,000粒にあたり、一升と一生をかけた」など諸説ございますが、定説はないそうです。
この10日を待ち、「一番乗りで参拝したい!」という民衆の思いから、前日の9日より人出があり(いつの時代も同じだ~!!)、7月9・10日の両日が四万六千日のご縁日と受け止められるようになったそうです。また、この両日には「ほおずき市」が「四万六千日」のご縁日にちなんで開かれているそうです。
そもそもこの市は、芝の愛宕(あたご)神社の縁日に始まり、「ほおずきを水で鵜呑(うの)みにすると、大人は癪(しゃく)を切り、子どもは虫の気を去る」といわれるなど薬草として評判であったようです。その愛宕神社の縁日を、観音さまの功徳日にならい「四万六千日」と呼んでいました。やがて「四万六千日ならば浅草寺が本家本元」とされ、ほおずきの市が浅草寺境内にも立つようになり、かえって愛宕神社をしのぎ盛大になったと伝えられているそうです。
一方、江戸の昔、落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であったことから、文化年間(1804~18)以後に「雷除(かみなりよけ)」として赤とうもろこしが売られるようになりました。ところが~明治初年に不作が原因で、赤とうもろこしの出店ができなかったことから、人々の要望により「四万六千日」のご縁日に「雷除」のお札が浅草寺から授与されるようになり、今日に至っているそうです。
縁日というと、お祭りのイメージしかありませんが(笑)縁結びの日としてあらためて考えると、奥深いですね。余談ですが、甲府にも愛宕山があり、甲府の夜景を見るカップルでにぎわうそうです(爆)
rohengram799 at 14:17|Permalink│Comments(2)