蓮月尼

2021年09月08日

鹿火雲便りNo.6:蓮月尼

今日は川柳コンテストの夢をみていました……寝坊しました……(ノд`;)


富士山は初冠雪! 季節はすすんでいますね。 夏山より冬のキーンとした空気の中で見る雪の富士山がやっぱり一番好きかなぁ。全く田舎には帰っていませんが。

山梨といえば水晶も有名なのですが、黒水晶は見たことがない……というかその存在を知らなかった( ̄▽ ̄;)

【黒水晶】
https://crystal-seian.co.jp/smp/list.php?type=class&mcat=112132



さてさて、昨晩は「蓮月焼」という言葉から蓮月尼という人物を知りました。大田垣蓮月という、 幕末~明治の歌人で剃髪し蓮月尼となります。急須・茶碗などを焼いて生計を立てました。自作和歌を書きつけた陶器が「蓮月焼」と称されたそうです。贋作も出回っても、それが売れて貧しい人たちが生活できるなら……と特に対策もしなかったようで……。


作家の木内昇さんの書かれたこちらの記事を読み、蓮月尼の人生は悲しい別れの連続だったのだなと思いました。

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO90485810T10C15A8TY5000/


『大田垣蓮月尼のこと』と題して上村松園が書いた文章があります。(青空文庫より全文)

毅然たる中に、つつましやかさ、優しさ、女らしさを備えていることは、日本女性の持つ美徳でありこれあってはじめて、いざという場合真の強さが発揮される。 大田垣蓮月が、維新の混乱期にあって女ながら日本のゆくべき道を極めてあやまらなかったことは、自ずから皇国護持の精神を発揮したものといってよい。 しかも、内に滔々たる勤皇の大志に燃えながら、その行いは極めて女らしく、名利を求めず、富貴を望まず、自詠の歌を書き、陶器を焼いて生活の資に充あて、他に齎もたらすところ厚く、自らは乏しくつつましく暮し、謙虚さは失わなかった姿こそ、まことに日本女性の鑑かがみであり、私達にこの厳しい時局下ゆくべき道を示してくれているように思える。 尼は当時京都に集まる勤皇の志士から慈母のごとく慕われたが、自らは聊いささかも表立つことはなく、あくまで女らしい床しさに終始した。あの毅然たる中に持ちつづけた女らしい床しさこそ、私達が学ばなければならないものである。 戦局の険しさが加わると共に、険しさ、とげとげしさが深くなる人の心に和やかさを贈ることこそ、女性本来の生き方であり、かくてこそ、はじめて女性として皇国護持の道に徹し得るのではないかと思う。 (昭和二十年)


【記念碑】
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ki073.html

【蓮月焼 画像】
https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&p=%E8%93%AE%E6%9C%88%E7%84%BC



週末くらいから救急車のサイレンが毎日聞こえます。体調を崩している方が増えているのでしょうか? 皆さまもどうぞご自愛下さいませ。




rohengram799 at 09:40コメント(2) 
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