週刊モーニング

2010年12月08日

第352号:オンリーマイレール

《青森新幹線開通初日から2時間遅れ》という何日か前の新聞を読みながら、『カレチ』を思い出す私はマンガ大好きなおばさん(^3^)/


『カレチ』は週刊モーニングで月イチ連載が決まった、ウチの子たちもお気に入りの、客扱専務車掌、略してカレチの荻野クンの物語。


時代は昭和40年代後半、まだまだ輸送に列車が大活躍だった頃が今回の話でした。


トラックのアクシデントで、新聞の列車への積み込みタイミングが少しずつズレていきます。


無事に積み込み作業を完了させるため、いろんな知恵をしぼり交渉する荻野カレチたち…機械任せではない、人間の力強さを感じます。


~かつて全国紙と呼ばれる新聞は東京・大阪・北九州で製作され毎日鉄道で全国各地へと運ばれていた。だがその後、製作地の分散や長距離トラック便の台頭により鉄道による輸送は縮小され今年3月ついに全廃となった~


私、最近まで新聞が鉄道輸送されているなんて知らなかったので、最後のこの文章に驚きました。


そして、毎朝新聞が早く届くのが当たり前みたいに感じていた自分をちょっと反省。


今は何でもスピードスピードですが、きちんと当たり前のことを当たり前にするためには、やはり最後にものをいうのは人を想う心だぁ~(^o^)/


絵柄も素朴です。鉄道マニアでなくても、引き込まれてしまいます。昔読んだ(ドラマにもなったような記憶がある)『STATION』みたい。


たかだか新幹線の遅れの記事から何でそんなこと連想するかな~と言われそう~(´Д`)


でも、懲りないわたしは
♪は・な・て!心に刻んだ夢を未来さえ置き去りにしてぇ~…などと鼻歌を歌いながら、カチカチしているのでした!!(わかる人にはわかる…へへ)







rohengram799 at 14:07コメント(5) 

2010年11月16日

第332号:どうして昔から人は…

どうして人は昔から 光やあたたかいものにふれようとするのか ずっと考えていたよ



週刊モーニングに載っていた『ファンタジウム』という漫画にこんな言葉がありました。そして、イタリアのヴィガネッラという村に設置されたという、巨大な鏡のこともはじめて知りました。


ヴィガネッラは、トリノの北東120km、県都ヴェルバーニアの北西30kmに位置し、アルプス山脈の高い山々に囲まれたアントローナ谷 (it:Valle Antrona) にある村。アントローナ谷は、西から東へと向かって流れる川に沿ってうがたれた深い谷で、集落は海抜580mほどの場所にあります。


村の北には2000mを超える山がそびえ、村の南には1500m~2000mの稜線が東西に横たわるという地理的条件のため、冬季には長期にわたって村に直射日光が射さないのです。


その期間は、毎年11月11日から2月2日まで…実に83日間!!


日照に欠けた状況を改善するために、村は2006年11月、標高1100mの山腹に巨大な鏡を設置しました。


鏡は、14枚の鋼板を組み合わせたもので、幅8m、高さ5m、重量は1tを超えます。コンピュータ制御で方向調整が可能、太陽を追尾して太陽光を反射させ、800mほど離れた村の広場に届けています。これにより、1日6時間光が射すように!


鏡の設置にかかった費用は10万ユーロであり、これは住民1人当たりに換算すると450ユーロ…高いのか安いのかわかりませんが…。


漫画には『今も村人は交代で毎日鏡を磨いているそうです。生きるための輝きをたやさぬように』とかいてありました。


暗闇期間を照らす、希望の光…ああ、なんでこんなステキな話題を見逃していたのかと反省しました。


新聞各紙でとりあげられていたのに~4年前、私は何をしていたのか?例によって記憶にございません( ̄▽ ̄;)




rohengram799 at 09:29コメント(4) 

2010年09月22日

ひつじ雲便り223:It's a piece of cake

今日は毎月ある記念日のひとつ『ショートケーキの日』ですね。先週読んだ《宇宙兄弟》て知ったこのフレーズ☆


It's a piece of cake


直訳すると「ケーキひときれ分」。


はは、自分はどうせケーキひと切れ分、その程度の人間(+_+)…こんなネガティブな意味にとらえてしまいそうですが、違います!!


《楽勝だよ♪》


何かイヤなことがあった時、悲しい時、ツラい時…おいしいケーキを食べながら、このブログと『宇宙兄弟』を思い出してくれたらシアワセです(*^^*)




rohengram799 at 00:05コメント(9)トラックバック(1) 

2010年09月09日

ひつじ雲便り200:泣かないことは罪なのか?

週刊モーニングの巻末近くに、劇団を持つ本谷有希子さんのコラムというかエッセイがあります。今週は、おばあちゃんが亡くなったという話でした。


自分をとてもかわいがってくれて、お小遣いもくれたおばあちゃん。でもボケてしまった。ボケたことで、私のことも忘れちゃった…とおばあちゃんへの心配も薄れていき、実際葬式に出席しても、初七日が過ぎても泣いていないという本谷さん。


中途半端な書き方だから、皆さまには今ひとつ状況が伝わらないかもしれないけれど(すみません)誰かが亡くなった時や葬式で泣かないのはいけないことなのだでしょうか?したり顔で「悲し過ぎると涙がでないのよ」などと言うつもりもないけど、卒業式でも泣かないのは、なんだか「人でなし」みたいに言われたしなぁ…。


悲しいとか悲しくないとかを涙で判断してほしくないし、人のかなしみについて土足で上がり込むような、親切めいた慰めとか説教じみた話もイヤ(-_-;)泣きたい時に好きなだけ、ただただ泣かせてほしい…余計な言葉はいらないから。でもコレはワガママで、古代エジプトみたいに「泣き女」にならないといけないのかなぁ…。


あれやこれやがいつも以上に脳内宇宙を駆け巡る…これが『秋の気配』?






rohengram799 at 14:22コメント(5) 
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