今週は天気の悪い日が多かったですが、秋の夜長は月を愛でながらお酒をグイッ!という人も多いのでしょうか? 若山牧水とか酒呑みのイメージがなかったので(あるのは山頭火くらい)「お酒大好き!」と知った時には驚きましたが、『小景異情』でおなじみの室生犀星が呑兵衛さんだったのも意外です( ̄0 ̄;)
犀星の愛した酒は金沢の「福正宗」。その晩酌の様子について、娘・朝子さんが書いたものから抜粋すると………彼は「家族とは別に、小さい朱塗りのお膳の前に正座して、盃をかたむけていた。」「母はこまめで料理が上手な人であったから、犀星のお膳には酒の肴の小皿がいくつも並び」「あまり喋らずに、毎夜きまって二本の徳利をあけていた」そうな。また「夕食にはご飯はいっさい食べなかかった」みたいです(『父 犀星の俳景』から)。この晩酌が終わるころになると、きまって近所に住む詩人の竹村俊郎が誘いに来て、二人はいそいそとまた飲みに出かけたとか……( ̄▽ ̄;)
室生犀星(1889─1962)は金沢市生まれ。本名照道(てるみち)。犀星は号。別号魚眠洞(ぎょみんどう)。父は加賀藩士でしたが、7歳の時に室生真乗(しんじょう)の養嗣子(ようしし)になり、いろいろ苦労したようで……お酒はそういった気持ちを慰めてくれたんでしょうね。ひとり都の夕暮れにふるさとを思い、涙ぐむ時に酒は心の友であり、裏切らない存在だったのかも……。
お酒といえば、課長から今は会長になった島耕作が、「獺祭」をモデルにしたであろう「喝采」の工場を見学している話がありました。このお酒を飲むとちあきなおみの♪喝采がうまく歌えて拍手喝采!なんて内容ではありません(゜゜;)\(--;) 作者の弘兼憲史さんが欄外に「69歳になりました。いやらしい歳ですね。」と書いていましたわ……良い子は深く考えないようにしましょうね( 〃▽〃)
犀星の愛した酒は金沢の「福正宗」。その晩酌の様子について、娘・朝子さんが書いたものから抜粋すると………彼は「家族とは別に、小さい朱塗りのお膳の前に正座して、盃をかたむけていた。」「母はこまめで料理が上手な人であったから、犀星のお膳には酒の肴の小皿がいくつも並び」「あまり喋らずに、毎夜きまって二本の徳利をあけていた」そうな。また「夕食にはご飯はいっさい食べなかかった」みたいです(『父 犀星の俳景』から)。この晩酌が終わるころになると、きまって近所に住む詩人の竹村俊郎が誘いに来て、二人はいそいそとまた飲みに出かけたとか……( ̄▽ ̄;)
室生犀星(1889─1962)は金沢市生まれ。本名照道(てるみち)。犀星は号。別号魚眠洞(ぎょみんどう)。父は加賀藩士でしたが、7歳の時に室生真乗(しんじょう)の養嗣子(ようしし)になり、いろいろ苦労したようで……お酒はそういった気持ちを慰めてくれたんでしょうね。ひとり都の夕暮れにふるさとを思い、涙ぐむ時に酒は心の友であり、裏切らない存在だったのかも……。
お酒といえば、課長から今は会長になった島耕作が、「獺祭」をモデルにしたであろう「喝采」の工場を見学している話がありました。このお酒を飲むとちあきなおみの♪喝采がうまく歌えて拍手喝采!なんて内容ではありません(゜゜;)\(--;) 作者の弘兼憲史さんが欄外に「69歳になりました。いやらしい歳ですね。」と書いていましたわ……良い子は深く考えないようにしましょうね( 〃▽〃)